リハビリ人生

知り合いに「アケスケなブログ」って言われました。あけみって名前のスケバン?って思ってたら赤裸々って意味でした。

気は病から

「病は気から」なんて言葉がある。

 

病気は気の持ちようで軽くもなるというような意味である。私の意見としては「なる訳ないだろアホか薬を飲め」の一択である。誰が考えたんだ。ブラック企業の元気な社長か。

 

私はどっちかというと、「気は病から」派である。

尚、そんな言葉は存在しないのでこの派閥に属しているのは私ただ一人なのだが。

先週あたり寝る前ものすごくしんどかった。ネガティブが自分を襲ってくる。これといって特に言葉にできる不安もないのに、「このままで大丈夫か?」とか考えて眠れなかったりした。脳内知恵袋に「私はこのままで大丈夫ですか?」と聞いたら「質問が漠然としている。置かれている今の状況の、何がどうダメなのかを説明しろ。こういう甘ったれた質問者がいるから知恵袋は・・・」と怖い脳内インターネットのオジサンにボコボコにされた。
「そんなに怒らなくても良いじゃない」と思うが、よく考えるとオジサンの言う通り、ここには特に不安はないと分かる。
そして、自分の喉の痛みと、身体のけだるさにやっと気付く。

 

おい!!!ただの体調不良じゃねえかよ!!!

 

私は脳内の知恵袋オジサンに「すいませんただの体調不良で気が滅入ってただけでした。」とコメントを添えてベストアンサーをあげる。

起きてもいない未来の問題を漠然と考えて不安になる時は、大抵身体のどこかが悪い時である。
体調不良や体の疲れが、脳にネガティブにさせる信号を送っているのだと思う。
これが私の提唱する「気は病から現象」だ。
対処法?
ゴチャゴチャ考えるな!早く寝ろ!病院へ行け!

 


病院に行って一週間薬を飲んだものの、私の喉は悪化していた。咳が止まらなくなって、このまま死ぬんじゃないか?と思う時もあった。
咳が役立った瞬間は、上司との大事な面談の最中に死ぬ勢いの咳が出てしゃべられなくなり、心配>>私が適当に用意した資料への指摘、という構図が出来上がり、「体調不良だけどよく頑張っている」という空気感で面談をやり過ごせた時だけであった。
(そう思ってるのは私だけの可能性はある)

 

あまりにも治らないので、今度は耳鼻咽喉科に行くことにした。土曜日、午前中で仕事を切り上げて自分の家の近くに帰っている途中。最近ハマっている激辛ラーメン屋が目に入った。
そこから自分の意識とは関係なく、車が駐車場に吸い込まれていた。
気付くと目の前には激辛ラーメンがあった。
一応言っておくが、喉の状態はもちろん最悪である。
自分の意思で注文したが、一応食べる前に「はて?」みたいな顔をしておく。
罪悪感が成す特に意味のない行為である。

 

一口食べて、死ぬほどむせた。
そして例の咳をするわけである。そりゃそう。なんで食おうと思ったんだ。アホか。
喉に優しくするという義務が、欲望には勝てなかった。

咳がやんだ後、鼻水が出てきたと思ってティッシュを鼻にやった。
すると思っていなかった色が目に入った。

メチャクチャ鼻血が出ていた。

 

今年25である。
風邪をひいて激辛ラーメンを食べて鼻血を出している。

 


「気は病から」などと言うておりましたが、
このアホさが治る病とか、あったりしますかね?

心をほだされてたまるか


接客を生業としている人間にまんまと接客されてたまるかという意地がある。

美容師さんなどの職業はすごい。髪を切ることの技量のみでなく、コミュニケーションを通してお客さんと心を通わせ、安心してもらうことによってまた来たくなる空間を演出してるのだと思う。
ただ、「すごい」と思うのと「話したい!」と思うのは別感情である。

な〜〜〜〜〜〜〜んも話したくない。
1ミクロンも自分の個人情報を話したくない。

髪を切ってもらいたい自分と、髪を切る美容師の間には金銭という架け橋があり、役割を担うだけの関係性が充分成り立っている。
それにも関わらず、コミュニケーションを取らなくてはならない意味がわからない。あーだこーだ言ったが、全ては私がコミュ障ということのみで説明はつく。

あまりに美容師と会話をしたくなさすぎて、大学の時は1回行ったら美容院を変えていた。色んな店の初回割引を何食わぬ顔で使いこなし、顔と名前を覚えられない楽さを味わった。周辺の美容院を行き尽くした後は原付も使った。
最終的には、美容師に嘘の個人情報を言って、話をなんとなく盛り上がらせるというテクまで使っていた。浮気で別れようか悩んでいる彼氏など存在はしていない。在るのは嘘つきのメス1匹。


そんなこんなで、ずっと接客をされることから逃げていた私だったのだが、この前逃れられない接客を受けてきた。

GWから脱毛を始めた。

前から多少興味はあったのだが、カウンセリングしてくれたギャルのお姉さんが言った「まつ毛から下の毛はいらないっすよ」の一言が最高だったので、決心が着いた。額縁に飾りたい言葉である。

月に一度通わなくてはいけないということで、強制的に常連と化すわけである。とはいえ接客から逃げ続けてきた過去を、容易く見捨てるわけにはいかない。
口からでまかせを言おうと考えていた。

「はーい、それじゃちょっと股開きますね〜」

私は全裸で綺麗なお姉さんたちの前で股を開いていた。なんかいい匂いのするタオルを顔に敷かれている。

「おやや?これはリンパの流れを良くするためにあれやこれやをするビデオかな?」
と何回か思ったが、あまりにナチュラルに股を開かされるので、動揺しないことを心がけていた。ずっと「ええ、いつでも開きますよ」という顔をしていた。

「そういえばお客さん普段どんなお仕事されてるんですかー?」

えっ今!?!?!?

「あっ○○です〜」

しかもメチャクチャ普通に答えてしまった。動揺して何も隠すことなく正解を言ってしまった。
人間、全てをひけらかした状態で質問をされると、何も抵抗出来ず全て答えてしまうと分かった。

お姉さんは私にOラインの処理の仕方を、ジェスチャーで教えながら、「わたしめっちゃおしりの毛多いんですよ〜!」と言って笑っていた。
もうなんか何がバレてもいいかと思う、少し汗ばむ令和の始まり。

 

春は奇人の季節

春といえどもまだ寒い日だった。

出張から家に帰るために高速バスの待合室に並んだイスに腰掛けた。
手にはミルクティと巷で話題のバスチーという菓子。私の脳内は目の前のバスチーという美味そうな菓子で頭がいっぱいだった。

 

最近、腹の周りにムニムニするなぞの物体がついているのだが、私は本来痩せているのでこのムニムニした物体はいつでも切り離せるはずなので、カロリーとかそういうのは気にしないのである、激ウマのチーズケーキが目の前にあるのだ、これを食べないことは目の前のチーズケーキにも失礼だ、今日は頑張った、だから私は今、このバスチーを食べるのであ

 

「人間はいつか根絶やしになる。絶滅こそが最高」

 

あ?
人が今バスチー食おうとしてる時になに?
急にパワーが襲ってきたけど?

前を見ると20代くらいの男が大きな声で電話をしていた。人類の根絶やしを希望してるのはどうやら目の前のこの人らしい。私はバスチーをとりあえず口元から離した。

 

「だから!!!俺がAIを初めて作った人間なの!4年前に!」

 

マジで?
そうは見えないけど。

AIの始まりって4年前なん?
すごいでかい声で話すので、思わず聞き入ってしまう。

 

「俺が2012年にAIを作って、それ以降俺の技術をパクッたのにも関わらず、なんの見返りもよこさない無責任な白人共が悪い。
世界権力は約立たずのマザコン共。自惚れを守るためにしか行動しないから問題が何も解決しない。しかも全員ゴキブリ並みの生命力だ。一般人がいくら人材投資をしたところで、マザコンしか生まれない世の中なんてクソ喰らえって思わないか?。ロイヤルファミリーはさっさと一家心中しろ」

 

オウオウオウオウ!!!
やべぇじゃんコイツ!!!


バスチー食ってる場合じゃないよ!!と私はバスチーをコンビニ袋にしまった。
私の目の前で世界を舞台にした話を展開するAIの父。根絶やし男。こんなヤバい奴の話を聞きながら、バスチーとか食いたくない。たぶん味とか分からない。

ところで根絶やし男、作ったと大口を叩く割には具体的にどんなものなのかが出てこないのはなんなんだ。企業名も出てこない。怪しさ満点だ。
あとなんでこいつの話し方こんな洋画の吹き替えみたいなんだ。ゴリゴリのジャパニーズバンドマンみたいな顔してるのに。

 

「ということで俺は、アンタに要求がある」

あ、ここまでは自己紹介だったらしい。
確かにくいつかせるには充分の素材だ。
就職面接ならもう帰ってもらうけど。

 

「というわけで俺はAIの使用料1ヶ月10円を要求する」

 

安!!!!!!!!
うまい棒でも買うんか!?!?

 

「1年で120円。100年で12000円。」

 

そうだね!単純計算だとそうなるね!
親切な説明!

 

なぜ10円なのか全く意味がわからなかったが、根絶やし男は拒否をする相手に対して「はぁ?俺はだから4年前AIを作って〜」と相変わらずの吹き替え口調で同じ説明を繰り返していた。でかい要求を持ってくるわりに、具体的な説明がない。ただ洋画独特のボケを交えて悪口を話してる。「オムツと白人の関係性は深い」って言ってた。HAHA!なるほど!こいつァいいぜ!
というか電話の向こう側誰がいるんだ。早く切れよ。我慢強いな。

話を聞いていると
根絶やし男の要求は

・AI使用料10円を払うこと
・AIに自由権をもたせること
・AIによる人間の監視システムを作ること

のようだった。全然何が目的なのかよく分からない。

私は根絶やし男の話を聞いていたら、バスチーを食べ損ねて、なんならバスも乗り遅れていた。バスだけにね!HAHA!こいつァ愉快だ!

もうここまで来たら乗りかかった船だ。こいつの目的がなんなのか、話してる相手は一体誰なのか、全部突き止めるまでこいつの話に耳を傾けてやるか。
そう意気込んだその時、根絶やし男は急に席を立った。


そして、人が密集している席に座り直してまた話を始めた。


よく見ると、私と根絶やし男が座っていた席の周りにはびっくりするほど人がいなかった。1回子供連れの女の人がそそくさと席を後にしたのは見たが、どうやら根絶やし男の挙動が怪しすぎてみんな席を離れたらしい。

 

根絶やし男は人が多くなった場所で、また同じようにコミカルに身振り手振りを加えながら、バスを待つ客席にチラチラ目を配り、大声で話していた。

 


たぶんあの電話はどこにもつながってなかったんじゃないかと思う。


私は次のバスの時間を調べ、バスチーを口に入れた。肌寒い気温と裏腹に、春の訪れを感じていた。

酒を飲むな!地獄に落ちるぞ!

お酒が好きだ。
ビールに日本酒、ワインにカクテル、基本的にはなんでも嗜む。食べ物にあったお酒を頼んでちょびちょびと食べるのも好きだ。お酒の場と雰囲気も好きだ。お酒の力を借りてほんの少し込み入った話もしやすくなって、普段は出来ない距離の詰め方をして関係を深くできる感じも好き。

ただ、そんなに強くない。
生ビールジョッキ3杯ハイボールに日本酒を挟み始めるとだいぶ気分が良くなってしまっている。弱いというわけではないのだが、そんなに強くない。それが私の酒との関係。

こうなるとどうなるか。
私の場合は、二日酔いが本当にエグいことになる。
飲み会の後はしこたま水を飲まないと、次の日は一日を潰す。夜は起きてトイレに向かい、眠れないまま朝を迎え、ベッドに水を置いて一日を過ごす。身体中が筋肉痛のようになり、頭は割れるように痛み、目を開けると目の前が回り、「もう二度と酒を飲むのはよそう」と回る世界に思う。その反省は活きたことはないのだけれど。

楽しい夜を過ごせば過ごすほど、帳尻を合わすかの如く地獄はやってくる。
楽しかった昨日の思い出は、その時ばかりは罪のように思える。


地獄は誰にでもくるのか?


うちの母親は二日酔いを知らない。
母は酒グセが悪い。
私は母親の酒を飲む姿があまり好きではない。お酒に酔うと気が大きくなり、あからさまにテンションが高くなる。そのわりに情緒が不安定になりすぐ怒る。
飲み会に行った母を迎えに行った父が1人で戻ると「何か知らんが逃げられた」と言った。どこに逃げるというのか。家はここなのに。
車であちこち探して帰ったら、猫とたわむれる母がそこにいた。
夜遅く仕事から帰ると家のドアが壊れてたこともあった。入れないから裏からはいった。寝ている母に理由を問い詰めると「知らん!!」と逆ギレされた。ドアが直るまでしばらく裏口からの出入りが続いた。

母はいつも笑えるか笑えないかギリギリのラインの酒グセを露呈してくる。
どれもこれも、笑い話として昇華すれば「面白いお母さんだね」で済む話ではある。

次の日母は決まって「昨日はすんませんでした」とシュンとして見せつつ笑う。二日酔いのない清々しい体調で。


地獄はわりと誰にでもは来ない。


元彼はとても酒が好きな人だった。
私は酒の味を覚えたばかりだったが、いつも頑張って居酒屋に着いて行った。
ぶどうサワーしか飲めなかったのでぶどうサワーばかり頼んでいた。大学生しかいない安いチェーン居酒屋の、箸立ての横にはノートがあった。めくるとそこに座った大学生たちのしょうもない落書きがたくさんあった。
今思うと別になんてこともない落書きノートなんだけど、その時はそれがすごく面白くて食い入るように見ていた。
すると彼は、私からそれを受け取り日付と自分の名前を書いて、「名前書いて」と私に言ってきた。
汚い落書きのノートに書かれた日付と名前。
それが妙に嬉しくて、彼が見てない隙に写真で撮って何回も眺めた。
その日は飲みすぎてやっぱり吐いた。
ぶどうサワー7杯分。


彼はメチャクチャ酒グセが悪かった。
先輩たちもいる飲み会で癇癪をおこして道の真ん中で暴れまわり、止めにかかった身体の大きい先輩たちを振り払って押しのけた。先輩は転び、腕時計が壊れた。
誰かが大学からリヤカーを持ってきて、寝ている彼は山の家にある家まで運ばれた。

その後も彼の情緒不安定は続き、情緒不安定の延長線上。
サークルの飲み会に彼は来ず、LINEには既読がつかなかった。
先輩が「ビールの人何人?」と聞くとテーブルにいたほとんどが手を挙げた。
本当はぶどうサワーが飲みたかったけれど、わざわざひと手間とらせて、ぶどうサワーを頼むのがすごく面倒になった。
「わたしもビールください」と言うと、「おっ!いいねえ!」と言われた。
初手でビールを頼むのは、何も考えなくて良くて楽だし、人から「いいねぇ」と言われることなんだなと学んだ。
ろくに話も聞かず、ビールを飲み続けた。
飲み続けると不思議とビールが不味くなくなった。
ビールはその日を境に大好きになった。
その後彼からはアッサリと別れを告げられた。


私は酒で人に迷惑をかけたことはほとんどない。でもいつも二日酔いで酷い目にあう。
酒飲みが酒で迷惑をかけたエピソードを意気揚々と語り、それが許されて笑いに昇華される空気感は苦手だ。
お前らみんな地獄に落ちろ。
そして「もう絶対酒は飲まない」と誓え。
その反省はやっぱり活きることはないのだけれど。

地の底から這い上がってヘラヘラ笑ってまた乾杯しようか。
人生、地獄と共にあり。

魔を打ち破れ

24年生きてても、その事象に触れなければ言葉自体を存じないということがある。

逆に新しく知る喜びがあるからこそ人は生きることに楽しさを見いだせるのではないだろうか。

 

 

f:id:sobameshi5:20190131185445j:image

 

ひぃっ!!ごめんなさい!!

 

失礼しました。あまりに巨大な“力”を感じる文字面を前に、つい「とりあえず謝る」というゆとり世代の必殺技を見せて己を守ってしまいました。

 

破魔矢

 

この言葉を私は2019年に入って最初の日、初めて自分の辞書に登録しました。え?皆さん普通に知ってるんですか?偏差値75?進学校とか行ってました?

 

f:id:sobameshi5:20190131185445j:image

強そ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!

絶対強いじゃん。強い文字の集合体じゃん。

手からビーム出るじゃん。

「破ァ〜魔ァ〜矢ァーーー!!」で出るやつじゃん。

 

ここで私と同じく初めて破魔矢という文字面を目にしてびっくりしている同士たちに破魔矢を軽く説明すると、破魔矢とはお正月に神社で授与してもらい、家に飾る縁起物の矢である。「魔を破る」という文字面通り、厄除け魔よけのために使われる。

 

元旦の夜に初詣に行った際、破魔矢の話が出て私は破魔矢を知らなかったのだけれど、当たり前のように話が進んでいったので、「破魔矢を知っている人」の顔をして、フンフンと話を聞いていた。内心は上のようなことを考えていた。きっと私みたいな世間知らずが他にもいると思うから、これを読んで1人でも知見を増やす人間がいれば良いと思う。

 

破魔矢の話をしたのは友人のすずめちゃんだった。すずめちゃんはブログでの登場回数もそこそこ多い友達。

 

「姉ちゃんが去年本当にいいことがなかったらしくて、思い切って破魔矢を買うことにしたんよね。そしたらうちのお父さんが『せっかく買うなら良い奴を買え!』って言って、結果その神社で1番いい破魔矢を買ったから今うちには5000円の破魔矢がある。」

 

夜の初詣では、出店等は全て閉まっており、破魔矢本体を見ることは出来なかったが、等身大の見本は見ることが出来た。

5000円の破魔矢は他の破魔矢と比べて格段にでかく、あらゆる厄を取り払ってくれそうなオーラがあった。

 

「それとは別に、ついにSwitch買ったんよ」

 

すずめちゃんは意気揚々と話す。Switchを買うかどうかずっと悩んでいたのを知っていたので、決断に踏み切れたことを祝った。そして、何を買ったのか聞いた。スプラトゥーンスマブラ、流行りのゲームが頭の中で浮かぶ。

 

クラッシュバンディクー買った」

 

f:id:sobameshi5:20190131191517j:image

あ、へ〜〜〜〜クラッシュバンディクーかぁ・・・・・・そっか〜〜〜

 

なんで?

 

いや別にいいけど、夢見てたSwitch買って最初に買うソフトがクラッシュバンディクースマブラやりたかったんじゃないの?なんであの表情豊かなキツネが出てくるゲーム?いや、いいけど。いいけどね!

 

我慢できずに「いやなんでクラッシュバンディクー????」と言った私にすずめちゃんは答えた。

 

「自分でもなんで買ったのか分からんけど、いつの間にかクラッシュバンディクーを買ってたんよ。すごい懐かしい感じがして・・・で、今クラッシュバンディクーするのがすごい楽しい。」

 

楽しそうに話すすずめちゃんを見て私は自分を思わず恥じた。別にクラッシュバンディクーを買っても良いじゃないか。あの片眉をあげたキツネのドヤ顔を見て、癒されたって良いじゃないか。

人は何に勇気を貰うかわからない。すずめちゃんの姉が買った破魔矢は、すずめちゃんにとってはクラッシュバンディクーなのだ。おそらく「クラッシュバンディクー」を訳すと「破魔矢」になるのだ。クラッシュが破でバンが魔でディクーが矢なのだ。きっと。

 

クラッシュバンディクー破魔矢説を唱えた私たちは、コーヒーを買って海辺で飲んで元旦を終えた。

 

 

 

 

これは元旦の夜の話になります。

さてサイドストーリー元旦の昼の話を紹介すると共に、ご報告です。

 

nonsensedances.com

この度縁あって「ナンセンスダンス」という寄せ書きサイトに参加させてもらうことになりました。代表の方が私のブログを読んでくださっていて、「ぴりきゅうさんは女性だけど下ネタもいけて、幅広い文章が書けるのでサイトで記事を書いてみて欲しい」とありがたいと同時にもったいないお言葉をいただけました。

 

sobameshi5.hatenablog.com

クンニってたくさん書いてて良かった〜!

 

ということで、サイトへの寄稿と同時にブログも続けていきます。ちょっとばかし私生活が忙しくなるので、更新頻度は減るかもしれません。気が向いたら読んでやってください。 まだまだ未熟者の私ですが、今年もリハビリ人生をよろしくお願いします。

酩酊記2018

1年が終わる。
平成がどうのこうの言ってるみたいだが、元号が変わろうとそこまで私たちには影響しないしそうゴチャゴチャとあせらずとも良いと変わらず思う。心配しなくても皆いつか死ぬ。
年末のそわそわとした雰囲気にあてられてすっかり酔っている。今日は祖母の家にいる。うちの親戚はそこそこ仲が良く、正月じゃなくても毎週毎週10人近くの人間が家にいつも集まる。高校時代からの仲の良い女子グループに「お前の家族は異常だと思う」とハッキリ言われて、長年若干感じていた違和感を明確に他者から伝えられてハッとしたりもした。だからどうしたって訳では無いが、常々自分は甘やかされて生きているなとは自覚している。

ブログを始めて2年近くになる。
やっていて、自分の文章の善し悪しをそこそこ気づいたりもできた。元々人に「やってみたら?」と言われて素直に始めてみたブログだったけれど、始めた当初と比べて文章が少しずつ変わってきたりしてるとも思うし、始めて良かったと思っている。今年1年の記事を振り返って、1番スターを貰えた記事は、着地点を考えず推敲もせず手癖で書いた記事だった。なので今も大晦日に酒を飲み、手癖で何も考えずに書いている。どこに足が着くかなど分からないけど、どうか見守って欲しい。

それなりに言葉を必要とする職に就いている。どんな仕事でもどんな場面でも言葉は必要だとは思う。なんとなく「良い言葉を喋ることの出来る人間になりたいな」というのが私の夢だった。心に響く言葉を喋る人が本当に好きだ。私はオモコロの永田さんを本当に心から尊敬しているのだが、あの人の言葉は図太い芯があって時に下品な言葉を使うも、どこか品があって、読んでると人間としての根っこの魅力的な部分が溢れてるように感じる。
他にも色んな素敵な人を知る中で、言葉っていうのは誰にだって言うことは出来るけれども、人は言葉そのものを見てるわけでなく、言葉の奥にあるその人の人間そのものを見ているのだと気付いた。
なので、いくら色んな言葉を聞いて私がそれをそのまま話してもそれは言葉を誰かから借りてきただけに過ぎず、私の言葉ではない。名言を引用することは誰にだって出来るが、それを相手に納得させる力はその人の人間力にかかっていると思う。

人間力とはなんだろう。魅力的な人とはなんだろう。わたしはライターのおおきちさんのこともすきなのだが、おおきちさんは何かを極めた人間がとても好きだ。「面白い人間=何かを執拗に極めた人間」と思っているような気がする。確かに何かを執拗に極めた人間の話は面白いし、話を聞いてみたいと思う。その筋の変態であればあるほど「ヤバいなあ」と思うし面白いし楽しい。ヤバい人間の話を聞くのは楽しいし面白い。でも私はヤバい人間かと言われるとそうでもないと思う。何かのジャンルにおいてヤバいと言われるような人間になりたいけど、自分よりそれが好きな人間は絶対にいるし、そんな人間の存在を知ると少し億劫だなと思ってしまう。
率直に言うと自分は面白い人間ではないと思う。センスも良くないし発想力もないし文章もそんなに面白くはない。絵もそこまで上手ではないし、何かを極めている訳でもない。
ただ自分の良い所をあえて考えるとしたら、それを上に言ったようなことを自覚していることかなと思う。私が今立っている場所を理解することは辛うじて出来ている。魅力的な人間どうのこうの言ったけれど、そもそも自分はちゃんと人間であるかどうか自体怪しいので、私が今どこにいるのかを理解しているということで、及第点が欲しいなと思う。
あともう1つ自分の好きな所は、私が好きな人たちの好きなところをしっかりと言葉にできる所だと思っている。
これが出来なくなったら死のうと思う。

どうかどうか私の好きな人が幸せでありますように。わたしも少しは良い言葉を話せますように。トイレに行きたい。酔いも回る。わたしは人間じゃないと思うけどいっちょ前に欲はあるし、しっかりお酒でぐるぐる回るので、そこそこやっぱり人なんだと思う。それでも私は人間じゃないし、人生はリハビリです。それを何かの免罪符かのようにかざして、今日も。

サンタの筆跡をわたしは知らない

クリスマスが近くなることで行われるのが「サンタトーク」だと思う。「何歳までサンタさん信じてた?」とか「いつまでサンタさんきてた?」とか夢みたいな話を天気の話みたいな世間話の延長線でする。
別にその話題自体にそこまで興味はないけれど、相手の家の家族関係とか小さい頃の様子とかなんとなくイメージ出来るのでわたしは結構この話題を出す。

そして相手から私に話がうつったとき、絶対に驚かれる話がある。


忘れもしない。
小学校2年生の時だった。
クリスマスが近くなると、家の前の小さな木にイルミネーションを巻き付ける。遊びに行って暗くなってから家に帰ると、家の前がピカピカ光っていて、なんだか少し嬉しかった。
私にとって子どもの頃のクリスマスは、運が良ければケーキを買ってもらえてテレビがちょっと面白い日だった。そしてやっぱり何よりサンタさんからプレゼントをもらえるのは嬉しくてワクワクしていた。
24日。クリスマスイブ。
今日の夜寝たら枕元にほしいものが届くぞ〜と意気揚々と家に帰ると、母親が私を見つけて名前を呼んだ。

「あんた!サンタさんから手紙が届いとるよ!!!!!」

手紙?????そういうシステムなんてあった??

びっくりしつつもやっぱりテンションが上がり、姉と一緒に封筒をあけ、手紙の中身を読んだ。
サンタさんはどんな字をしてるんだろうとワクワクした。
わたしと姉の名前が冒頭に書いてあった。そしてその次の文章を読んで理解するのにわたしはすこし時間がかかった。


「きみたちはもう大きいから、サンタはもう来ません。プレゼントはお父さんとお母さんに買ってもらってね。」


そこにはサンタさんからのまさかの通達があった。

え、え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!?
なんで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?!!
心の中で小さくなっていくジングルベル。

親は「すごいね!サンタさんから手紙きとるじゃん!!!」となんかテンションが上がっている。(お前がやったんだろというツッコミはその当時には出てこない。)いや、確かにすごいと思うし絶対に冬休み明けに学校で友達に話すとは思う。話すとは思うけど、サンタさんがうちに配達エンド通告をしてきたという衝撃の方が上回った。

そしてしばらくして「君たちはもう大きいから」の一言が気にかかってきた。「お姉ちゃんは4年生だけど、わたしはまだ2年生なんだけど・・・」という不満がふつふつ湧いてくる。わたしより2年も多くサンタさんからプレゼントもらえててずるい。

手紙のサンタさんの字は、汚いわけでも達筆なわけでもなくワープロで打たれた字だった。「せめて筆跡を残してくれよ・・・」
私はもう会うことのない赤色のジジイの筆跡に想いをはせた。

次の日の25日。
ずっと欲しかったローラースケート(当時めっちゃ流行ってた)を買ってもらった。嬉しすぎて車の中で履いてたら、なぜかそのタイミングで軽い衝突事故にあって、車に乗ってた家族は全員無傷なのに、わたしだけブレーキの勢いでローラースケートで思い切り滑って、前の手すりに思い切り歯をぶつけて歯が折れた。は?そんなことある?
ローラースケートを履いていたことと、事故にあったことと、うちの家の車が後ろの席に金属の手すりがついてるタイプ(なんか分からんけど目の前にバーをおろす感じの手すりがついていた)だったということが、全部重ならないと起こらない事故だった。

私は血まみれになりながらローラスケートで車を降り、降りた瞬間また滑ってこけた。
相手の車の人物は私を見た瞬間完全に真っ青になっていた。そのまま睨みつけて、光GENJIばりのローリングを見せて「これがお前のしたことや!!」と泣き叫んでトラウマを植え付けてやろうかと思ったけど、立ち上がろうとしてもっかいこけたので、お姉ちゃんにローラースケートを外された。

サンタからの手紙はめぐりめぐって私に血まみれのクリスマスを用意したのだった。

そんなわけで毎回この話をすると驚かれるのだけど、その次の日事故って血まみれの光GENJIになったことまで話すと「作り話??」と疑われるので、いつも手紙が来た所までしか話してない。いたもん。血まみれの光GENJIいたもん。



平成最後の12月25日。
わたしもそこそこ歳を重ねた。
親とは毎日ビールを一緒に飲むようになった。ふと、あの手紙のことを尋ねたくなった。

「わたしが子供のとき、サンタさんから手紙届いたじゃん?あれ、なんだったの?」

すると母親は明らかにしどろもどろになりながら口を開ける。

「いや、サンタはサンタでしょ・・・なんだったも何も無いよ」

めちゃくちゃしどろもどろになっている。
え???ここにきて隠す???
私も24歳である。そこそこいい年齢になった娘に、いまだにサンタの全貌をあかそうとしない母親にこども扱いされてるのかと変な気分になった。

その後何分かしつこい攻防を繰り返した結果、話してくれた。

「ふつう、サンタっていつか歳とって自然といないって分かってくるでしょ?
だからあんた達にはまだサンタを信じてるうちに手紙がきたって思い出をあげて、サンタからのプレゼントを終わりにしときたくてさ。」

サンタからの手紙は、思わぬ母親の優しさがあった。なんだか少しズレてるような気もするけど。
確かに世の子供たちが大人になって自然とサンタからフェードアウトしていく中、わたしは手紙がきたという思い出とともにサンタさんから卒業が出来たのだった。

それを聞いて、大人になった娘からいざ手紙のことを聞かれて、とっさにはぐらかしてしまった親の心境もなんとなく分かる気がした。


親が与えた少しズレた優しさのおかげで、わたしには「サンタから手紙が来た」というクリスマス用の小さな持ちネタがある。

ローラースケートはすぐに飽きたし、手紙もどこにいったか分からないんだけど、あの無機質なサンタの字はなんとなくずっと覚えているのだろう。