リハビリ人生

知り合いに「アケスケなブログ」って言われました。あけみって名前のスケバン?って思ってたら赤裸々って意味でした。

酩酊記2018

1年が終わる。
平成がどうのこうの言ってるみたいだが、元号が変わろうとそこまで私たちには影響しないしそうゴチャゴチャとあせらずとも良いと変わらず思う。心配しなくても皆いつか死ぬ。
年末のそわそわとした雰囲気にあてられてすっかり酔っている。今日は祖母の家にいる。うちの親戚はそこそこ仲が良く、正月じゃなくても毎週毎週10人近くの人間が家にいつも集まる。高校時代からの仲の良い女子グループに「お前の家族は異常だと思う」とハッキリ言われて、長年若干感じていた違和感を明確に他者から伝えられてハッとしたりもした。だからどうしたって訳では無いが、常々自分は甘やかされて生きているなとは自覚している。

ブログを始めて2年近くになる。
やっていて、自分の文章の善し悪しをそこそこ気づいたりもできた。元々人に「やってみたら?」と言われて素直に始めてみたブログだったけれど、始めた当初と比べて文章が少しずつ変わってきたりしてるとも思うし、始めて良かったと思っている。今年1年の記事を振り返って、1番スターを貰えた記事は、着地点を考えず推敲もせず手癖で書いた記事だった。なので今も大晦日に酒を飲み、手癖で何も考えずに書いている。どこに足が着くかなど分からないけど、どうか見守って欲しい。

それなりに言葉を必要とする職に就いている。どんな仕事でもどんな場面でも言葉は必要だとは思う。なんとなく「良い言葉を喋ることの出来る人間になりたいな」というのが私の夢だった。心に響く言葉を喋る人が本当に好きだ。私はオモコロの永田さんを本当に心から尊敬しているのだが、あの人の言葉は図太い芯があって時に下品な言葉を使うも、どこか品があって、読んでると人間としての根っこの魅力的な部分が溢れてるように感じる。
他にも色んな素敵な人を知る中で、言葉っていうのは誰にだって言うことは出来るけれども、人は言葉そのものを見てるわけでなく、言葉の奥にあるその人の人間そのものを見ているのだと気付いた。
なので、いくら色んな言葉を聞いて私がそれをそのまま話してもそれは言葉を誰かから借りてきただけに過ぎず、私の言葉ではない。名言を引用することは誰にだって出来るが、それを相手に納得させる力はその人の人間力にかかっていると思う。

人間力とはなんだろう。魅力的な人とはなんだろう。わたしはライターのおおきちさんのこともすきなのだが、おおきちさんは何かを極めた人間がとても好きだ。「面白い人間=何かを執拗に極めた人間」と思っているような気がする。確かに何かを執拗に極めた人間の話は面白いし、話を聞いてみたいと思う。その筋の変態であればあるほど「ヤバいなあ」と思うし面白いし楽しい。ヤバい人間の話を聞くのは楽しいし面白い。でも私はヤバい人間かと言われるとそうでもないと思う。何かのジャンルにおいてヤバいと言われるような人間になりたいけど、自分よりそれが好きな人間は絶対にいるし、そんな人間の存在を知ると少し億劫だなと思ってしまう。
率直に言うと自分は面白い人間ではないと思う。センスも良くないし発想力もないし文章もそんなに面白くはない。絵もそこまで上手ではないし、何かを極めている訳でもない。
ただ自分の良い所をあえて考えるとしたら、それを上に言ったようなことを自覚していることかなと思う。私が今立っている場所を理解することは辛うじて出来ている。魅力的な人間どうのこうの言ったけれど、そもそも自分はちゃんと人間であるかどうか自体怪しいので、私が今どこにいるのかを理解しているということで、及第点が欲しいなと思う。
あともう1つ自分の好きな所は、私が好きな人たちの好きなところをしっかりと言葉にできる所だと思っている。
これが出来なくなったら死のうと思う。

どうかどうか私の好きな人が幸せでありますように。わたしも少しは良い言葉を話せますように。トイレに行きたい。酔いも回る。わたしは人間じゃないと思うけどいっちょ前に欲はあるし、しっかりお酒でぐるぐる回るので、そこそこやっぱり人なんだと思う。それでも私は人間じゃないし、人生はリハビリです。それを何かの免罪符かのようにかざして、今日も。