リハビリ人生

知り合いに「アケスケなブログ」って言われました。あけみって名前のスケバン?って思ってたら赤裸々って意味でした。

ヘリコプターAVは確かに存在する

大学生になって初めてバイトをすることになったその日、私はこころなしか緊張していた。
そこのバイトを紹介してくれたのは高校の時の仲がいい先輩だったので、安心はしていたのだが、女子が少ない上に私が入る時間が深夜帯だったので、他に入る人が優しい人だったらいいなと期待をしていた。

そこにいたのはT先輩という人だった。
T先輩は私の三つ上で仕事が早い人で人見知りをしている私にも気さくに話しかけてくれて、第一印象は“素敵な先輩”だった。
緊張していたけれど、こんな先輩と一緒に仕事が出来るならこれから頑張っていけるかもしれないと思った。

店の営業時間が終わり、片付けが終わった。時刻は深夜2時半。初めてのアルバイトが終わり、しんどくなった体を引きずりながら、バイトの日誌を書きに控え室に戻る。すると、T先輩は私以外のもう一人の中年のバイトの男性にこう話しかけた。


「今ヘリコプターAVってやつにハマってるんすよ」


自分の耳に入ってきた情報を疑った。
AVと聞こえた。中高と全く男子と喋らない学校生活を送ってきて男性経験が微塵もなかったド処女の私の耳には確かにAVと聞こえた。
と、共にAVと全く結びつかない「ヘリコプター」という単語が入っていた。
なんなんだそれ。一体どうなってるんだ。


私が何も反応できず固まっていると、中年のバイトも知らないと答えていた。


「え?知らないんすか?ミッキー柳井っすよ?」


誰だよ。
と思うが、T先輩によるとその筋では有名なAV男優である。一体どの筋なんだよ。



「まずね、バックしてるんすよ

まじかよコイツ。
マジでAVの説明をし始めた。ここにバイト初日のド処女がいるんだぞ。置いていくなド処女を。



「で、ミッキー柳井が言うんすよ『コイツ・・・なかなかやるな・・・そろそろあの技を試すか・・・』って」

SEXって奴よくわかんないけど、最中にそんなことを思うものなの?ド処女、そういうとこ気になるけど?


「で、女を軸にして上で回り出すの」

回り出すの!?!!?!!?!
どうなってるの!?!!?一体何が支えてるの!?


チ〇コいれたままで回ってるんすけど

なるほど〜!チ〇コが支えてんのね〜〜〜〜!!!!


「で、そのままシーソーみたいに男がチンコを軸にギッタンバッタンしながら、手を叩くの

手を叩くの!?!?
なんのために!?手を叩くことが何に作用してるの!?

そしたらその手を叩くのに合わせて女が喘ぐの

喘ぐの!?!?
何が気持ちいいの!?!?!何がどう繋がって彼女の性感帯は刺激されてるの!?
そこでは一体何が起きてるの!?!?


「っていうAV」

いや、っていう、じゃねえよ!!!



私の脳内は全然追いつかなかった。
先輩が身振り手振りで説明している姿に、私は興味を持たざるを得なかった。
ド処女は置いてかれるどころか、その開いたことのない扉に興味津々に引き込まれていた。

しかし、ヘリコプター?リズム拍手?そんなものがあるはずがない。先輩はもしかしたら私が経験が無いことを薄々勘づいてバカにしてるのかもしれない。日誌を書きながら無言で先輩たちの会話に耳をすませド処女は行く末を見守っていた。

そしたら先輩は普通にその場でスマホをつついて実際の動画を流し始めた。

すると、先輩が言った通りの光景がそこには写っていた。



少女はその日大人になった。
世の中にはミッキー柳井という、そういうアクロバティックな技を得意とするAV男優がいることを知ったし、ヘリコプターというジャンルが存在することを知ったのだ。

女の人の喘ぎ声を聞くのが初めてで、普通にメチャクチャいたたまれなくなったので、その後はすぐ家に帰った。




その後日ガールズトークで「AV見たことある?」という話題になった時ドヤ顔で「あるよ?ヘリコプターAV」と答えて、「んなもんあるわけねぇだろ!!!」と怒られたので私は悲しかった。

うそじゃないもん・・・あるもんヘリコプターAV・・・・・・







スマホで「ヘリコプターマン FC2」と検索したら1分くらいのまさにあの時見た動画が出てきたので、メチャクチャ笑って、リンク貼ろうとしましたが、すんでのところを踏みとどまりました。
踏みとどまってくれて、ありがとう。私。

朝の日記

毎朝仕事に行く前にゴミ出しをしている。

実家暮らしなのだが、勤務形態が特殊で収入が少なく、家に金を入れることが出来ないので、家事全般をやっている。一人暮らしの時より家事の量は多い。タダで住まわせてもらっているので、文句は言わない。

低血圧な朝。
全然布団から出られない。声を発したくない。小さい頃から「おはよう」「いってらっしゃい」を交わさないと、返事をするまで問いかけられる教育を食らってきたので、仕方なくその程度の声は発する。

低血圧なので足先が凍えて目が開かない。
足を温めようと正座してると、猫が集まってくる。普通の猫より少し大きいうちの黒猫の重さで、身体が床に溶ける。
もうやめよう。全部やめてしまおう。
今日はこうして過ごそう。と思いかけるが、そういう訳にも行かない。

ゴミを家中から集める。
大の大人が3人と、猫が2人。我が家はゴミが多い。毎日ビールを7本は消費するので、缶ゴミのケースが埋まっていない日を見ない。

着替えるのがめんどくさくて、パジャマのまま外に出る。アホみたいに清々しい。青空が「スカン」みたいな音を立ててるみたいに思える。透明度の高い空気が、肌をなぜて通り抜ける。二文字で表すと寒い。

家からゴミ出し場までの道のりは、小学生の通学路で、パジャマでゴミを出しに行く私と、小学生は逆方向に進み、すれ違う。たまに集中力を失って通学班の列から、少しそれたりしながら、全員同じ場所を目指している。


今日も目の前が眩しくて目が開けられない。


ゴミを出したら、オジサンがチワワ散歩させていた。チワワは私に向かって、これでもかと眉間にシワを寄せ、歯を剥き出しにして、うなっている。

「こんなにチワワって顔怖いんだ」

って私は笑った。

セクシーな修羅場を聞いたことがあるか

東京事変の修羅場を聞いていて急に思い出したことがあるので書く。

もうこのブログでも何回か書いたけど昔コンパニオンのバイトをしていた。
コンパニオンとは、おじさんたちの宴会を盛り上げるために呼ばれる女の子のことである。この説明でも「どういうこと?」とアホづらで聞いてくる人には「出張型のキャバクラみたいなもんだよ!」とか言っていた。まあ正直全然違うんだけど。

キャバクラと違う所は色々あるけど、その中の一つはお客さんに特別気に入られない限りもう一度会うということがないというところだ。一応チーフになったら名刺を渡して「これからもごひいきにどうぞ~」的なやり取りをするので、ごく少ない可能性でまたその人たちが来た時に指名してもらえることもある。

まあそんな感じで一期一会でどんなお客さんとも、ほぼ会うことがないというのがコンパニオンの利点だと個人的に思っていた。

ある時入った宴席で、控室でチーフの女の子から、「この後時間ある?」と聞かれた。
「ありますよ~」と答えたら、彼女は周りの女の子に聞こえないようにコソコソしながら「実は〇〇ちゃん(私の名前)、この後アフターの指名受けてるんよね、いいよね?」と言ってきた。

それあれじゃん。キャバクラのやつじゃん。
さっきキャバクラとここが違う!とか言ってたけどキャバ嬢が客と店の外で会うやつじゃん。

街中で私服に着替えて客と飲み直すのは、友達に見られたらさすがにやばいし、何より宴席と違って守ってくれる人がいないのでちょっとこわい。普通に行きたくないなと思った。

断るそぶりをみせたら逆にチーフにはめっちゃびっくりされた。「いや…でも〇〇ちゃん呼ばれてたからな…どうしようかな…」って困ってる。なんかわたしが困らせてるみたいになってる。なんでよ。

もう一人の指名受けてた子に相談したら、「あ、私前にやったことあるよー」と普通に返された。
流されやすい体質なので、そんな感じで仕方なくいくことになった。人生初のアフターである。



待ち合わせて、普通のチェーン店の居酒屋に入る。
男5女3で飲み会開始。
仕事じゃないからなこれ。絶対何一つ話さねえからな。とか思ってたんだけど、普通に沈黙とか耐えられないので、ちゃんと話した。

話はそこそこ盛り上がった気がするけど、なんにも覚えていない。
向こうは短い時間を使って「いかに女の子に良く思ってもらえるか」とか、接待なら「女というアイテムを使っていかにこの場を盛り上げられるか」としか思っていない。
だからガチ恋みたいなことをしない限り、会話の中で人間性のピースがかっちりはまるなんてことはお互い期待していないんだと思う。(私の主観です)

まあそんなこんなで、お互いの内面の一層目をつつきあうようなトークをそこそこして盛り上がったり、たまにぐだついたりしながら飲み会は終わった。


よっしゃー!!終わったー!!!かえろー!!と愛しいお布団のことを考え始めていた所、「次どうする?」との一言。
え?おひらきでは?まだやんの?と必死でチーフに目線を送っていたのだが、チーフは「カラオケいこっかー!」と、私が一番望んでない方向への後押しをしてきた。

ここでチーフについて触れておくが、チーフは私と同い年の女の子だった。わりとふくよかな体型をしているアジアンビューティな子だ。宴席中にはまとめていた長い髪は、おろすと毛先が赤色になっている。化粧が濃いギャルというわけでもなく、普段は大学に通っている独特の雰囲気を持っているノリのいい女の子だった。
彼女はアフターという行為に慣れまくっているので、この展開がなんにもおかしくないみたいにふるまって、むしろ楽しそうにしていた。



結局そのままカラオケに行くことに。
アフターでカラオケというのは最悪の極みみたいな選択だ。暗いし。距離近いし。

で、私の隣には宴席の時から私の事を気に入ってくれていた人が来た。
ヒルズ族与沢翼みたいな顔と体型をしている。
さっきの居酒屋では離れた席にいたので、「お待たせ」みたいな顔でこっちを見ている。待っていない。ガチ恋すんな。
太めの体型の男性は好みだけど、与沢翼似に関しては、「与沢翼だな」という感想しかない。それ以上でもそれ以下でもない。

翼は「何歌う?」と私にデンモクを渡しながら言ってくる。マキシマムザホルモンを歌いたい。私はロックが好きで、マキシマムザホルモンは絶対歌うしデスボイスも出す。「不勃起日本、ケツ毛引火」って叫びたい。でも全力でデスボイスを出すような雰囲気ではない。ぶっ生き返せる雰囲気ではない。
宴席用の十八番はあるけど、とりあえず私は翼にデンモクを託して今日は聞く専に徹しようと思った。


翼は浜崎あゆみの「Days」をいれてきた。なんで?


その瞬間意気揚々と歌う翼に私は思わず噴き出してしまった。メチャクチャにうまいのだ。ビブラートとか音が上がる所とかの出し方を完全にモノにしている。しかもうまいことを自覚している歌い方だ。段々腹立ってくる。
なんだこいつ。最初から歌いたいなら歌えよ。一人で気持ち良くなるな。

「〇〇(私の名前)がいる~それだけで~心がとてぇも↑あたたかくなるぅ~~~~」

やりやがった。こいつ。ついにやりやがった。
歌詞の君のところに私の名前いれてきやがった。二文字だからって語呂よく当ててくるな。あとそれ源氏名とかじゃなくて本名だからまじで勘弁してくれ。

「〇〇を好きなままでぇ~~~~~いていいですかぁ~~↑↓↑↓」

やめてくれ。手のひらを差し伸べながらこっちを見つめてくるな。ここぞとばかりにビブラートきかせるな。

翼から受ける全力のアプローチに我慢できず、私は助けを求めようとこの一連の流れを見ていたであろうチーフの方を見た。


チーフ、お膝に乗ってた。お膝に乗って完全に男に上半身を預けていた。

目を疑った。
歌とか聞いてない。二人の世界になってる。


え…?セックスしてる…?いやしてないけど。する前のやつ?始まるやつ?

もう翼の歌とかどうでもいい。
翼すげえこっち見てるけどもうどうでもいい。見るな。


そのあとチーフが歌ったのが東京事変の「修羅場」だった。元々かわいい声をしているんだけど、それにしてもうまかった。ていうかエロかった。チーフの修羅場はエロかった。


何時間か歌って宴もたけなわとなり、その後お開きということになった。
私たちはタクシー代をもらい、おじさんたちはもといた旅館に戻ることに。本当は街から歩いて五分の所に住んでいるのだけど、多めのタクシー代をもらって、一度断るそぶりをみせつつ私はしっかり受け取った。
ようやく帰れる…。なんやかんや言って宴席から場を盛り上げ続けた女の子同士で、ねぎらいあって帰ろうとしたその時、

「じゃ!私こっちだからー!気をつけてね!」

と、チーフは膝に乗っていたおじさんと腕を組み夜の街に消えていった。





以上が私の最初で最後のアフターの経験だった。

後から、他の子に話を聞くと、彼女は割といつもそんな感じらしく、全国からくるお客さんと仲良くなり、全国にお財布オジサンを増殖させているらしい。旅行やフェスに行くとそのおじさんと会い、宿泊費やらなんやらたくさんもらうそうだ。
キャバクラと違って、お客さんが全国からくるというコンパニオンのシステムを巧みに利用した作戦である。

彼女のことをあまり良く思っていない女の子も結構いた。しかし、私は逆に「最強だな」と尊敬していた。

アフターだってなんだって、やるなら全力でやる。そしてどうせやるなら全部搾り取ってやればいい。そんなサッパリした考えを持っている子こそ、お客さんにも好かれて、結果的にたくさんのオジサンを幸せにしているのだ。

とことん搾取する側に回って、自分の人生の為にする。こういう子こそ、水商売をやるべきなのかもしれない。そんな風に思った。



今でも東京事変の「修羅場」を聞くと彼女のセクシーな歌い声を思い出す私だった。
与沢翼の声は浜崎あゆみを聞いても、与沢翼を見ても特に思い出せない。


思い出さなくても、よい。

彼女は面白くない

 

オーストラリアから手紙が届いた。


え?オーストラリアに友達なんていましたっけ?と一瞬思うが、宛名のRの文字でなるほどと思う。

今回話に出てくるRは、韓国で一緒に垢すりを受けたRである。

 

 韓国のアカスリに行ったら地獄だった話 - リハビリ人生


彼女と最初会った時、どちゃくそいかついし怖いから関わらないようにしようと思った。

ファーストコンタクトは大学のサークルでの顔合わせだった。

私が入っていたサークルは一学年100人くらいいるでかい規模のサークルで、大きな枠組みの中に何個かの部局に分かれている。その中の一つに、平和部局という部局があった。
先輩が「カンボジアに行くよ!」とか大それたことをその部局のパンフレットに書いていて、私は「なるほど、カンボジアね、まあ大学生活の経験値としてもこういうの行ってみるのもアリよね」とクソ大学生として例に漏れない思考回路でで釣られて入ったのだが、実際は企画が通らなくてカンボジアに行く活動というのはボツになってしまった。詐欺である。カンボジア詐欺。まあなんやかんや続けて私はその部局長になったりもしたんだけども。そのカンボジア詐欺にひっかけられた中の一人が彼女だった。

Rは出会った当初、頭が半分に分かれていた。俗に言うツートンというやつである。彼女の頭は真ん中でくっきり分かれて、片方が金髪、片方が黒髪になっていた。ド目立つ。
そんな個性的な外見で「平和活動に興味あります!」と言ってる彼女を見て「うそつけ」と普通に突っ込みそうになった。


さらに、その時の彼女のTwitterのアカウント名は「みんなの〇〇」だった。私を取り合うのはやめて!私はみんなのものだから!とでも言わんばかりの自信に満ち溢れたアカウント名に、私はおそれおののいていた。自分が大好きじゃないとつけられないネーミングだ。
しかし、「みんなの〇〇」というネーミングセンスはあながち間違いではなく、彼女の人脈は凄まじかった。
色んなところで色んな人と仲良くなるので、びっくりする人がRを知っていたりする。Rを知っていることで共通の話題ができて、また仲良くなれたりする。
Rが人と人との接着剤のような役割を担っているようだった。

 

Rの髪型は色んな色になっていた。
黒金ツートンから始まり、黒赤ツートン、ピンク、1度黒金の間に赤色を混ぜるというオムライスみたいな髪型になったりもしていた。

さらに、赤が好きなのか、彼女の部屋は真っ赤なカーペットに真っ赤な置物の山、日の丸のドデカイ布を壁にかけているという、完全に女暴走族のやべぇ部屋だった。遊びに行った時すぐさまUターンして帰ろうと思ったのもの事実である。


ある時からはずっと黒髪になっていたのだが、彼女の奇抜な髪型、奇抜な部屋、その他もろもろの奇抜さを目の当たりにして、「ここまでする必要ある???」と私はよく不思議に思っていた。

 

そして、あることに気づいた。

Rは実は全然面白くないのでは?と

 

Rは人気者だ。でも、実際メチャメチャ面白いことをいつも言っているかと言われればそうでもないのだ。

彼女をよく見てると、その場のノリに合わせてメチャメチャ適当なことを言ってるだけなのだ。

韓国に一緒に行った時、フェリーが大阪についた瞬間「あぁ〜ここが韓国か〜何もかもが違うな〜」とか言い出すし、韓国に着いたら「やっと大阪かー」とか言ってくる。雑。雑なのだ。
どこいっても変なノリと勢いと、動きでなんとなく面白く見えているというだけなのだ。(それが出来るというのもそもそも凄い才能なんだけど)

彼女の面白くない所に気づいて私は、なんか逆に面白いなと思っていた。

 
人気者でいつも明るいRなのだが、いつか急に「ほんとはマジで友達が少ない」とか急に打ち明けてきたこともある。
仲良くなってから、Rはそんな闇の部分をよく見せてくれるようになった。
学生時代に色々あっただとか。
彼氏に物凄い束縛をするだとか。
酒を入れないと眠れないからいつも養命酒を飲んで寝ているだとか。実はものすごく暗いとか。

私はRのそういう話が大好きだった。

 

そしてR自身から聞かなくても私はRの好きな所を何個も知っていた。

不真面目なように見せかけて誰よりも大学で自分の好きなことを誇りを持って勉強している所だとか。 

部局の活動に参加出来なかったことが悔しくて、急に泣き出した所だとか。

面白いようで実は全然面白くないみたいな所。
そんなギャップ一つ一つに人としての奥行きが感じられて、結果的に魅力的な人だなと思わざるを得なかった。 

 

 

私は大学を卒業したが、Rは今何年生なのかよく分かってない。大学を何度も休学して、海外へ留学しまくっている。“みんなのR”というのをワールドワイドに展開しているみたいだ。ブラジル人にメチャメチャ惚れられて、自分への想いを込められたタトゥーを彫られたという話を聞いて、今こそ“みんなのR”という名称を活かせよと笑ってしまった。


自由人なのか、依存気質なのか、根暗なのか、明るいのか、彼女のことはいくら経ってもよくわからない。

 

友達のことを急にブログに書いたりするのはおそらくこれが最初で最後だろう。
Rのことを急にブログで書いたのは、オーストラリアから手紙が来て、前に「わたしのこともブログで書いてよ〜」と言われてたことを思い出したからだ。


その時Rに、

「わたし中学の時、工事の関係で卒業間近に校舎がぶっ壊されてさ!それを書いてほしい!卒業とともに思い出の地がぶっ壊されていく気持ちわかる?ガシャガシャガシャガシャーー!!!って壊されていく校舎見ながら『ここにいるのもあと少しか・・・』と思う気持ちわかる?!それについて書いてよ!!!!」

って言われてたんだけど、
なんだそれ。
書けるか。めっちゃ面白いけど。


とりあえずこんなんで許してもらおう。と、肝心のRの手紙を開いたら、中国製のハガキに「オーストラリアより愛をこめて。ってこれメイドインチャイナやないかーーい!(ここで爆笑する)」と書いてあったので、やっぱりこいつ全然面白くないな、と私は笑った。

ファッションじゃない方のクズとしての自己紹介

やらなきゃいけないことが出来ない。


昔から、今一番やらないといけないことを真っ先に後回しにしてしまうクセがある。完全なる悪癖。カス。ゴミ。虫ケラ。貧乳。アル中。
なんでこんなに汚い言葉を羅列して、自分で自分を痛めつけているのかというと、いい加減自分にうんざりしているのだ。
今日もダメだった。今日は仕事が休みだったので、色々やらなきゃいけないことがたくさんあったのだが、それの一つも出来なかった。何をしていたのかと聞かれたら、何もしていないと答えるしかない。マジで何もしてない。なんか気付いたら1日終わってた。虚無。二酸化炭素を排出するだけのでくのぼう。カス。虫ケラ。貧乳。アル中。


私はずーっとそういう人生を歩んできた。
胸は今よりもう少し大きくなるだろうと思っていた中学時代。(胸の大きさは小学生から変わることはなかった)

当時はノートに日記をひたすら書いてたのだけど、高校受験のための勉強をしていた当時の日記が見つかった。そのまま文章を書く。


「お前はそのままでいいのか。本当にそのままの生き方で人生を歩み続けるのか。もう少し生き方を見直した方がいい。「明日やる」と言ってるお前に、永遠に明日なんて来ることはない。今日やれ。」


めっちゃこわい。
今読んでてメチャメチャこわかった。
全部今の自分に突き刺さってきた。
なに?こいつは誰なの?

この時オードリーにハマっていた全盛期だったので、次の日には勉強のことではなく、オードリーが出ていた番組の感想を一ページまるまる使って書いていた。びっくりした。全然反省してない。びっくりした。

堕落→反省→ちょっとやる→堕落→反省
の地獄のループを繰り返して今の今まで生きていたことがハッキリと分かる。



大学の卒業論文を書く時は、友達(秘書の記事に出てきたダイナマイトスケベのOちゃん)の研究室に勝手に居座り、Oちゃんが声優のR-18のラジオドラマを聞きながら、アニメを見ている横で、男友達(本屋の記事で一緒に鳩見に行ったヤツ)と、快楽天というエロ本を回し読みして、どのセリフが一番文学的に優れているかという話し合いをしていた。
玄関開けたら彼氏のチ〇チンまっしぐら!」と「我がパイは2個である。名前はまだない」が最優秀に選ばれた。惜しくも受賞を逃したが、「世界を牛耳るパコりマン☆ドリーム」「TPP(ティンコペロペロ)」もなかなかによかった。考えうる中で最悪の単語の組み合わせたちを並べながら一体私は何をこのブログで伝えたいのかわからないが、要するにその空間で卒論をしている者は誰1人いなかった。そのことを伝えるためにここまで、自分の価値を下げる必要もなかったなと今少し反省している。(よい子のみんな!これがさっき言っていた反省のゾーンだよ!)


そんなことばっかやってたため、卒論の進みがまぁ遅く、挙句の果てには「まあでも一日3000字とか書いたらなんとかなるから」とか恐ろしいことを言っていた。
結果、バチが当たったのか、卒論提出の一週間前に私はインフルエンザにかかり、外出禁止の中、ぶっ壊れて右上にピンク色の異空間が出来ているパソコンで、意識を朦朧とさせながらなんとか卒論を提出させた。内容どうこうよりも終わらせるということを一番の目標にして、文字を打ち込み続けた。
提出した後、学部の教授たちに卒論について色々と質問されたり、注意されたりする口頭試問は、要約すると「ふざけてる?」みたいなことを言われた部分もあったが、なんとか乗り切った。なんやかんや大学を卒業した。



ずっとわたしはこういう生き方をしている。

本当ならば、ダメ人間の烙印を押され、誰からも信頼されず定職につくこともなく、孤独に生きていかなければならないのかもしれない。

だが、ギリギリの所で、ダメなことを気付かれずに生きてる。

いっそのことダメなことに気付いてもらえた方が楽なのかもしれないが、自分の中で「出来る奴だって思われたい」という余計な感情が、人前で見栄を張らせてしまう。
割と声がでかく、その場その場でそれっぽいことを言うのが得意なので、なんとなく良いことを言ったみたいに思わせるのが私は得意なのだ。(自分でそう思っているだけなのかもしれないが)


見栄を張る→それなりの評価を受ける→堕落する→反省する→見栄を張る
の繰り返しなのである。



私はこういう生き方しかできない。


これは、私が本当にダメなやつだということに気づいて欲しいという、私の悲鳴である。
私がダメなやつだってことを知って欲しい。
意外に大丈夫だと思わないで欲しい。
マジでクソ。マジでずっとダメ。

でもそのうえでちょっと好きでいてほしい。
こんな私を好きでいてほしい。
一周回ってアリなんじゃない?って思ってほしい。だってさ、仕事がバリバリできるような奴よりもさ、ちょっと抜けてるところがある奴の方が親近感が湧くじゃん?アリなんじゃない?って思ってほしい。貧乳も、胸が大きすぎて困っちゃうよりかは、「あれ?ちょっとないな?どこかな?オッパイはどこかな?」って探せる方が、探究心刺激されていいんじゃない?って思ってほしい。
あるよりもない方がいい時もあるね!そうだそうだ!いぇーい!行くよ皆!バンザーーイ!!!!!AAAカップばんざーーーい!!!!!






・・・・・・明日からまた頑張ろう。と呟くと、
「明日なんてこねぇよ!」と中学の私から貶された気がした。
残念ながら、明日はどんな奴にでもあるらしい。

だから、また明日。

うさぎと毒ガスの島

大久野島へ行ってきた。


大久野島というのは瀬戸内海に浮かぶ広島県の島で二つの名称を持っている。

一つ目の名前が「うさぎ島」である。

その名の通り、うさぎがワンサカいる。
2013年に計測した結果によると700羽のうさぎがいるらしい。最初フェリーから降りた時はそんなにいるなんて信じられなかった。「いや、そんなにいないじゃ〜ん!」って馬鹿にしてたら、
木影とかよく見ると何羽ものうさぎがぎゅっっっって固まってる。
「え?!いたの!?」ってなる。
そんなに日陰が好きなんかい!

ほんで触ったらもうねぇ・・・
もうそれはモッフモフ。モッフモッフなの。
嬉しくなって島の外で販売してたエサをあげようとすると、膝に前足を乗せてエサを全力でもらおうとしてくる。そのわりにあげると、口にくわえてすぐに離れる。薄情な奴らめ。

あと何か知らんけどものすごい数の穴を掘ってる。
島唯一の宿泊施設がある公園内に、ボッコボコ穴が開いてるから、なんなんだろうと思ってたら、うさぎがそこにハマってる。
「これはわたしがハマるための穴です」と言わんばかりにハマってる。
なに?職員がうさぎのために穴ほってんの?って思ってたら、うさぎが自分で全力で穴を掘る姿を目撃した。穴にハマるためなら労力をいとわないプロフェッショナルたちがそこにいた。掘る→ハマる(寝る)→エサ食う→掘る→ハマる(寝る)→エサ食うの完璧なルーティーンが存在していた。

2時間近く車を運転してきて、そんなうさぎさんと、陽だまりの中にほおりこまれたらどうするって?
寝ました。気付いたらベンチで1時間くらい寝てました。連れはエサやりにハマってその間ずっとエサやっててうさぎと仲良くなってた。


あんまりにもうさぎが最高なので大きな目的を忘れそうになるが、わたしが大久野島に行きたかったのはその、大きな目的があったからだった。

もう一つの大久野島の名称が「毒ガスの島」
わたしが大久野島に行きたかった大きな理由のもう一つがこれだった。


大久野島は昭和初期、「地図から消された島」となった。旧日本軍は、島で毒ガスを秘密裏に製造することを決め、住人達を強制退去させ、毒ガス工場を作り上げた。
太平洋戦争末期には風船爆弾の風船部分も作られていたそうだ。

戦後、毒ガス製造に従事した者の毒ガスによる障害が次々と明らかになり、今でも後遺症に悩まされているらしい。
また、毒ガスが渡った中国で毒ガスのタンクが今でも見つかり、住民が気体を吸ったり、液体化したそれが体に触れたりして、今でも被害が続出しているらしい。中国政府は一刻も早い処理を日本にのぞんでいる。

毒ガス資料館から出て、再びうさぎたちと、うさぎとたわむれる人たちを見た時、なんだかわたしは笑ってしまった。

「異常な平和さだ」と笑ってしまった。

この島で毒ガスは確かに作られていたのだ。
その毒ガスは、実際に戦争で使われ、確かに人が亡くなったのだ。

ここは本来そういう島なのだ。




うさぎは鳴かない。

戦時中、毒ガスの動物実験用にうさぎが飼われていたらしい。

その頃のうさぎは全羽殺傷処分されたので、その時のうさぎの子孫はもう島にはいない。

1971年に地元の小学校で飼われてたうさぎ8羽が放たれて、繁殖して今の数になったらしい。

うさぎは鳴かない。

毒ガスで殺されたうさぎたちも。
放たれた8羽も。

うさぎの気持ちを考えようだとか、そんなことが言いたいわけじゃないんだけど、

うさぎたちが生きたということ
生きて生きて、増え続けたこと。

それがすごく、不思議で、特別で、怖くて、素敵で、うまく言葉に出来なかった。





「毒ガスの島」であり「うさぎの島」

並べるのもどうなんだという意見もあるらしいんだけど、やっぱりわたしは
「毒ガスの島」であり「うさぎの島」というのが、この島を最大限表していると思った。




島に一定数黒いウサギがいてすごく可愛かったので、家に帰って飼ってる黒猫を触ってみたら、なんかすごい硬かった。

大量のうさぎをさわってモフモフ依存症になって帰ったわたしだった。
お、最後に一言、患者が何か言いたいそうです。


ええからおめぇの尻モフらせろや!!!!!!!!!

秘す必要もないイミのない話

学生時代、色んなバイトをしていた。
その中の一つに「秘書」のバイトがある。

一応業務上の秘密を守らないといけないやらなんやらの誓約があるので、なんの秘書をしていたのかは言えないけど、小さな事務所みたいな所だったとだけ言っておこう。

仲が良かったOちゃんという女の子が、「人が足りてないからお願いしてもいい?」と頼んできたのがキッカケだった。私はその時他にラーメン屋で働いていたのだがラーメン屋は深夜22時からシフト入りで、夜間主の大学に通っている私は昼間の時間はすることが無かったのでOKした。

関係ないけど、Oちゃんは私が出会った女の子の中でベスト3に入るスケベな女の子である。ド巨乳でダイナマイトグラマーガールな彼女は、自分がエロいということを理解しており、エロさを武器にして世を渡っている。その割に働いた金すべてを声優のために注ぎ込むような中国人顔負けの爆買いを繰り返し、クレジットカードの使いすぎで上司に使い方を注意される金銭感覚の狂ったオタクとしての一面もある。

Oちゃんのスケベエピソード、その他諸々の伝説は語りだしたら3時間くらい過ぎてしまうし、おそらく彼女はいつもこのブログを読んでくれている(メチャ優しい)ので書かないが、私はそんなOちゃんが人として死ぬほど好きなので、Oちゃんの頼みには乗らざるを得なかった。


まず、秘書のバイトってどんな格好してるのか。
別に秘書というイメージから連想されるような、胸元をざっくり開けた白いシャツとタイトスカート、みたいな格好はしなくても良いです。Oちゃんがそんな格好したら完全に「爆乳フェロモン秘書ご奉仕60分」というタイトルがつく。(私はつかない)
私が働いていた所は、自由なところだったので、服装に関しては何にも気にせずに行っていた。
あと、勤務形態が、朝から夕方までで拘束時間が長いので、ド寝坊をして朝化粧をする時間がなかった日はそのまま行って昼の休憩中に家に帰って化粧をして現れて、事務所の人に「え?顔変わってない?」とよく言われていた。ほっといてよ。

やっていることはほぼ事務仕事。
会計システムを使って伝票処理とか、メールの受け答えとかそういったことをしていた。
あと、急に無茶振りで一字一句わからん資料渡されて「これpptにしといて」とか言われた時は「何言ってんの?」と思った。
精一杯やったフリして次の日のOちゃんに丸投げした。ごめん。

わたしの直属の上司は、見た目が少し怖くて物言いがとてもハッキリしているオジサンだった。彼と話す時は大抵Oちゃんの話ばかりしていた。「Oさんってお爺さん力士でめちゃくちゃ強いらしいよ」「たぶん吉田沙保里がいなかったらOさんが人類最強」「ケモノ」とかずっとOちゃんが一番強そうに写ってるお気に入りの写真を私に見せながら喋ってた。どんだけOちゃん好きなん。

事務所で2番目に偉い人が、わたしの面倒をずっと見てくれていた。上司のそばに行くと、スネ夫みたいなヘコヘコした喋り方をする調子のいい人だったが、私がパソコンを買ったばっかりという話をしていたら初期設定を全部やってくれたり、とにかく色んなことをしてくれた。

勤務が昼までだった日は車で少し遠いラーメン屋に連れて行ってくれたりもした。

「まだラーメン屋で働いてんのぉ?もう辞めなってぇ」

その人はずっと私がラーメン屋で深夜働いていることを心配してくれていた。

「女の子があんまり夜遅く出歩いちゃダメだよ〜」
「あ、ラーメン屋にこうやって連れてってること、Oちゃんには言わないでね。Oちゃん
はまだあんまり連れていけてないから」

と、とにかく優しくしてくれる。
なんでそんなに優しいんだろと思って聞いてみたら
「昔行ったフィリピンパブの女の子にめちゃくちゃ似てる」
との回答をいただいた。うれしくねぇわ。


今回のブログには特にヤマもオチもイミもはい。

結局経費削減のために、Oちゃんは残って私は辞めなきゃいけなくなったんだけど、大学卒業しても、時々あの日々を思い出す。

このバイトをする前の夏の日、私は「あなたが僕の運命の人です!」と言われて初めて付き合った彼氏に「人生の足枷」というランク激落ちの称号を下されてフられた。(そんなことある?)
まあまあ好きな人だったので「どうする?川でも飛び込む?」という心境の日々を送っていた時に、Oちゃんから誘われて、私は秘書バイトの、そんなに人に話すほどの事でもないへんてこな日々を送ることになった。

特にオチなんてないけど、たぶん何年か後に思い出すのは、こういう思い出なんだと思う。

あの時、Oちゃんに誘われて良かったし、フィリピンパブの女の子に似てて良かったし、あの人とは別れて良かったと思う。

意味がないことなんて、ないのだ。




え?なになに?
Oちゃんが、大勢の男をモノして帝国を作り上げてるって?しかも現在進行形!?


それはまた別のお話。