リハビリ人生

知り合いに「アケスケなブログ」って言われました。あけみって名前のスケバン?って思ってたら赤裸々って意味でした。

悲しみの匂いを思い出す行為

「人間は死ぬようにできていて、色んな死に方がある。死は満遍なく散らばっている。」

去年読んだ末井昭さんの「自殺」にそういう一節があった。

最近、親しい人の親類が亡くなった。
前触れのない突然の死だった。親しい人とはこの前たわいもないLINEをしたばかりだった。当たり前だけれど、こんなことになるとは思っていなかっただろう。
悔やみの言葉を伝えながら、葬儀の日程を聞き、今日焼香をあげに行った。

親族として列に立つ親しい人に一礼をして近づく。
気丈に振る舞う瞳の奥が悲しみで揺れていた。何も言わずに肩をさすった。

日頃から人の死を本の中で眺めていても、いつだってリアルの死は悲しい。



私がリアルな「死」を目の当たりにしたのは、4年前にじいちゃんが亡くなった時だった。
私にとって一番身近な死は、今はまだ、じいちゃんの死しかない。だから死を思い浮かべる時出てくるのはじいちゃんの姿だ。

小さい頃から近くに住んでいて一緒にいたじいちゃんがガンを発症し、緩やかに死に向かって行く様子は見ていてとても辛かったのを覚えている。
何度もお見舞いに行ったけど、最期の方は特に辛かった。水を欲しがってるんだけど、医者から口から多く水をとることを禁止されていて、いつも笑顔だったじいちゃんから、「水をくれ」と鬼の形相で言われて、「ごめんね、ごめんね」と謝ることしかできなかった。出来ることなら、もう好きなだけ水をたくさん飲ませてあげたかった。


会場の提案もあり、お葬式の最初、動画を流すことになった。私たちは動画で流す写真をアルバムから選んだ。うちの一族は距離が近く、頻繁に集まっていたので、色んな写真があった。私が小さい頃の写真。いとこが子どもを産んでからの写真。みんなで出かけた写真。一つ一つが思い出が詰まったものばかりで「こんなことあったね」と笑いながら選んだ。

お葬式が始まる前、「お前らはいっぱい泣くだろうから」と3つ上のいとこ(男)が大真面目な顔をして控え室からデカくて白いおしぼりを両腕ににたくさん抱えて持ってきて、叔母から「馬鹿!」と怒られていた。完全に「笑ってはいけない」お葬式だった。悲しみに包まれてはいるけれど、その中には当事者にしか分からないオモシロの瞬間もあって、それは不謹慎でもなんでもないんだよなと思った。

席に座り、おしぼりの思い出し笑いから解放された頃に、動画が始まった。
家では楽しく選んでいた日常の一枚一枚が、荘厳な雰囲気の会場で照らし出され、「楽しかった過去」として強調されているみたいで、悲しさが押し寄せてきた。
涙が溢れ出てた時、いとこの娘(当時3歳ほど)が何かを言っているのに気付いた。

「じぃじ、笑ってるね」

最初はブツブツ言っていて聞こえなかったが、ハッキリと聞こえるようになった。

「楽しかったね」
「また一緒に遊ぼうね」
「じぃじ、悲しいよ」
「なんでなの?どうして?」
「じぃじ」

彼女は、目の前のスクリーンに向かってハッキリと分かる声量で語りかけていた。幼いなりにこの状況を理解した上で、言葉を発しているようだった。


葬式の後、控え室でご飯を食べている時、彼女のこの行為に対していとこたちと姉と私の中で賛否の渦が起こった。
いとこたちと姉は彼女のあの行為が「あまりにわざとらしかった」と苦言を呈していた。
幼い彼女は、ごっこ遊びが好きで、あの状況に対して「曽祖父の死に対して悲しみを抱いている自分」を大人数の前で演じて酔っていたのではないか?ということだった。
私たち4人は、それぞれにじいちゃん子であり、祖父の死に対して悲しみを背負っている。
その中で彼女がした「パフォーマンス」の嘘くささを過敏に感じ取ったのかもしれない。
そして、いつもならば幼さを理由に許容できることが、祖父の死を前に幼い孫に戻っていたあの時は、幼い嘘くささを許せなかったのだと思う。

その中で私ただ一人が「まぁ・・・彼女は彼女なりに悲しさがあったんじゃない?」と幼女をフォローした。


私自身、過剰な悲しみを表現した覚えがあったからだ。


祖父が死んですぐ、身体は祖父の家に帰ってきた。すっかり冷たくなっていて顔色も土のようなのだけれど、紛れもない祖父の姿が家にあってとても嬉しかった。遺体に対して「怖い」という感情はひとつも無く、そばにいると安心感や温かささえあった。
その祖父は、缶ビールを手に陽気に話しかけてくる祖父でも、水を鬼の形相で欲しがる祖父でもなかった。物言わぬ祖父と無言で対話をするのは妙に楽しかった。祖父が家に帰ってきてから、私はほとんど傍を離れることはなかった。

その後の式に向けて遺体は棺に入れられた。私は涙が止まらなかった。その場で一番泣いているのは私だった。「なんで私からじいちゃんをとるんだ」と思った。棺に入れられてからも、しばらく頬から手を離さなかった。

遺体が棺に入り、車に乗せられていく時、
私は足をもたつかせながら追いかけた。
「じいちゃんじいちゃん」とずっと名前を呼んでいた。「行かないで」とも口にした。
他の誰も私のようではなかった。私の様子を静かに見ていた。
車に入った途端、祖父はもう自分の手には届かないと思った。
その場に座り込んで泣き崩れてしまった。

誰も私のそばに駆け寄ることはなかった。


あの時の自分を思い返すと、あれは祖父への愛着ではなく、「物言わぬ祖父という何か」に対する執着だったように思う。また、意図的に悲しみを抑えようとせず、全部出し切ろうとしていたのもあったかもしれない。

「行かないで」と泣きながら座り込むなんて、わかり易すぎる悲しみの表現じゃないか。
でも、あの時の私はそれがどうしても抑えられなかった。取り繕うができなかった。
それが少し気持ち良かった。

3歳がやった悲しみのパフォーマンスと当時23歳の過剰な悲しみの体現が、今でも私の中のリアルな「死」として思い起こされる。


目の前で気丈に振舞おうとする、親しい人は、まさに今リアルな死と対面している。
取り繕えなさと戦っている。

私にはどうすることもできないけれど、私なりに、リアルな死の感触を思い出して、戦うあなたに寄り添いたいなと思っている。
肩をさする私の手が、あなたに向ける私の目が、やさしい温度を持てるように。


そこらじゅうに散らばる死を、歩いて、歩いて、靴で踏み鳴らすように私たちは生きている。
死や悲しみの匂いを思い出すことは、自発的なものではなくて、いつしか意図的な行為になった。悲しみだけに覆われた時間は思っているより長くは続かない。涙をふくための白くてデカいおしぼりみたいに滑稽で愛おしい瞬間はいっぱいある。
悲しみの匂いを思い出さなくてもよくなったとしても、死は私たちの下に眠っている。きっとやさしい歌を歌っている。そうであると信じている。