「理不尽な出来事を乗り越えていくのが人生である。」ピリ・キュ・チャーン(1994~)
結構な頻度で休日出勤がある。忙しさに余裕がなくなる時もあるが、やりたい職に就けている充実感の方が今は勝っている。
田舎なので様々な生き物がおり、休日に来て職場に侵入したハクビシンを追い出すという緊急業務をした時は「わたしはこんな所で何をやっているんだ」という気持ちになったりもした。
その日は、家から車で2時間半ほどかかる場所に行っていた。見知らぬ土地である。未だに慣れないヒールを履いて仕事をする。ダルいなりにも結構為になる話をフンフンと聞ける仕事だった。なんやかんや自分の成長につながっていることをぼんやり感じる日々である。目に見える成果はないものの、休日出勤の一日の終わりに達成感を感じる。
「疲れたけど良い一日だったな〜帰って淡麗グリーンラベル飲むぞ〜」と思い、駐車場に向かった。
すると、一緒に行っていた同僚が、先に車へ向かい私の車を見て、そこそこ大きな声を出した。
人というのは思いもよらぬ出来事に出くわした時、どうしたらよいか分からなくなるものである。
私は車を見て声は出なかった。
ただ脳内にでかめの文字が流れた。
窓、無〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(これくらい)
車の窓がなかった。
いや、正確に言うとあった。
ただ、私の「窓」という認識のソレよりかは遥かにバッキバキになって存在していた。
割れていたのだった。
「はい、それでは撮りまーす」
そこからしばらくして、気づいた時には私は、窓ガラスが割れたマイカーとツーショットを警察に撮られていた。
どんな顔をしていいのか分からないので、「にへぇ・・・」と口角を微妙にあげておいた。
笑わないカメラマンは無言で数枚写真を撮る。
「これ割れていたと気付いて動かしてはないんですよね?」
私の駐車が下手くそで、白い線から微妙にはみ出していたので、3人の警察に代わる代わるにと同じように聞かれた。
わたしの駐車が下手なだけです・・・へへへ・・・と私はまた気まずい笑顔で笑う。
駐車場に監視カメラがついていたため、その映像を頼りに今後捜査が行われるとのことだった。
ただ、具体的に捜査をするためには被害届を出さねばならず、手続きには数時間ほどかかると言われた。信じられんくらいなにもかもがダルい。
「後日また被害届出しに来ます・・・」と約束して、その日は帰ることにした。割れた窓ガラスをビニールでくるんでガムテープを貼った状態で走ったら「ズババババババババババ」とビニールが風でけたたましい音をたてていた。あと職場を経由した時に死ぬほど虫が入った。
そのまま車屋に行って、おでこからキューピーマヨネーズみたいなチョロ毛が生えているオジサンに、苦手なコーヒーを出されながら「なんでこんなビニールのかぶせ方したん?馬鹿なん?」となぜかメチャクチャ笑いながら小馬鹿にされた。知らんがな。正しいビニールのかぶせ方とか知らんがな。
完全に疲れていたので、さほど答えもせず、オッチャンのチョロ毛をぶち抜く妄想をしながらコーヒーを飲んだ。
代車は継ぎ接ぎのロボットみたいな車だった。エンジンはけたたましい音を鳴らし、色々な作動が不安になる車だった。でも窓はついていた。難しい思考を停止している私は「窓があるってすごい」という一つだけを思いながらやっとこさ家に帰宅した。
ここから私はだんだんおかしくなっていった。
そこからは、保険会社や警察色んなところとのやりとりを毎日した。
職場の上司や、周りの人間には「車上荒らしにあった」と伝えた。
皆、目を丸くして驚き根掘り葉掘り聞いてくれて、最終的に「可哀想に」という同情の眼差しを向けるムーヴをしてくる。
数日経つと、日々の警察とのやりとりに疲れたのもあったのか、車上荒らしに遭ったヤツというカテゴリにいれられるのが、段々面白くなってくるという変なテンションになっていた。
そのうち、研修で初めて会った人間に自己紹介と同時に「この前車上荒らしにあいました、ピリきゅうと申します。」と車上荒らしの自己申告をするまでに至ってしまった。
当然メチャクチャ驚かれた。中には「なぜ今それを?」という顔をしていた人もいた。
当然の反応だ。今は短時間で自己紹介をする時間だ。キャッチコピーのように己の不幸をさらけ出す時間ではない。
ただもう疲れていて、私には「車上荒らしを受けた」と申告して周りをビビらせるという楽しみしか今残されてなかったのである。
あと、言えば言うほど「車上荒らし」というワードの強さが面白くて仕方がなかったというのもある。
今、大喜利の回答を振られたらなんでも「車上荒らし」と答える自信があった。絶対に「車上荒らし」と答えるパネラーがここにいる。もう、なにがなんでも「車上荒らし」って言いたい。
私は完全に変になっていた。
そんな時だった。
警察からまた電話がかかってきた。
「監視カメラを調べた結果、割れる瞬間に人影らしきものは写っていなかったと分かりました」
私はえっ!と声を出した。ということは・・・と言う前に、警察が答える。
「車上荒らしじゃなかったってことですね」
(嘘・・・・・・だろ・・・・・・・・・?)
私は職場のロッカールームで崩れ落ちそうになった。あんなに車上荒らしというワードに魅せられ、あんなに色んな人間に豪語していた結果、私の窓ガラスは車上荒らしではない割れ方をしていたのだった。
恥ずかしい。とりあえず、あの研修で会った人たちには二度と会いたくない。
「ピリきゅうさんの車の近くで、芝刈りをしていた老人の方がいまして、それの飛び石が原因かと思われます。」
(飛び石・・・!?飛び石割れ?芝刈りジジイの飛び石荒らし?)
必死で車上荒らしに変わるこの現象に名前を付けようとしたがしっくりこない。全ての現象には名前が付けられないのだ。仕方ないことである。
また、事件性がないということが分かったため、あとは芝刈りの団体と直接連絡をして解決して欲しいと伝えられ、警察はこの件から手を引くことになった。
私の手には芝刈りのボランティア団体の連絡先が残る。どうして、ボランティアのおじいちゃんと戦わねばならないのだ。戦意はどうやっても起こらない。
「もしもし、お話は○○署から伺いました。代表の○○です。」
団体に電話をかけたら、芝刈り団体の代表のおじいさんが出た。おじいさんではあるがシャキシャキと話している。
その後、何日間かこの代表のおじいさんとやりとりをした。団体で現場検証をしに行き、可能性などを考えたうえでまた連絡しますと言われた。
そして、最後の連絡はやってきた。
「すいません、当事者の者もですね、最善の注意を払った上で芝刈をしていましたので、今回はわたくしどもとしても認める証拠もないということでして・・・」
向こうは歯切れ悪く、「やっていない」という意思を伝えてきた。
私はもう完全に疲れていた。もうなんでもいいからこのやりとりを終えたいという一心だった。
「わかりました!では、私の車の窓がひとりでに割れたということで!イヨッ!天変地異!じゃあなクソジジイ!」
そう勢いよく電話を切れたら気持ち良かったであろう。私も歯切れ悪く負けを認め、もうこの件で電話はかけないと伝えた。
窓ガラス代は中古で安いのを用意してもらい、大体3万円くらいだった。保険は使わなかったので全部自費である。
ということでこのエピソードは3万円で手に入れたエピソードである。
「車上荒らし」というスーパー激烈オモロワードは手に入らなかったが、「芝刈りジジイの飛び石割れ」という歯切れの悪い事実っぽいものは手に入った。
最初の一文に戻るが、一連の出来事を通して、理不尽な出来事をいかに乗り越えていくかが人生かもしれないと私は思った。
この先も私は色んな理不尽に出くわすだろう。
実は、この窓ガラスが割れた日、難病と言われる「ALS」という病気の支援イベントに行っていた。ALSとは、段々自分の身体が動かなくなり、最終的には呼吸困難に陥り死に至る病気である。
ALSも理不尽そのものだ。突然意味の分からない難病にかかっていずれ寝たきりになる運命を背負わなくてはいけない。
実際に、私の少し近しい人もALSを発症している。
「どうして私がこんな目に」
と言う言葉を、出来事の大小関わらず人生で何度も口にすることだろう。
そんな理不尽に出会った時、どう受け止められるかで人生のトータルでの面白さは変わってくるんじゃないかと思う。
現実と自分との間、ちょうど窓ガラス一枚分くらいのポジティブを挟んでみたい。
しばらくして、また研修があり、あの時自己紹介をした人に出くわした。
「ピリきゅうさんのことめっちゃ覚えてます!車上荒らし・・・大丈夫でした!?」
この前より時間があるので、3万円分のエピソード、ゆっくり話すことにするか。
私はまた少し、余裕のある人間になれた気がする。