リハビリ人生

知り合いに「アケスケなブログ」って言われました。あけみって名前のスケバン?って思ってたら赤裸々って意味でした。

カーテンから漏れる光、悲しい鳴き声

誰しも記憶の中に子供の頃の少しえっちな体験があるのではないかと思う。その時はよくわからなかったけど、「今思い返すとあれって・・・」と考えるやつだ。


当時私は小学校低学年だった。その頃の私は内気さに磨きがかかっており、友達の前で自分の言いたいことを言うのがとても苦手な子供だった。お姉ちゃんの後を金魚のフンのようについて行っていたため、自分の友達よりもお姉ちゃんの友達との方が遊んでいたし、楽しかった。
近所で大きな犬を飼っている可愛い子に、私が「DSを持っているから一緒に遊ぼう」という理由で初めて遊びに誘われた時、家に帰ったらDSがぶっ壊れていて、子供ながらに「DS亡き今、彼女にとって私はなんの価値もない」と劣等感の最骨頂を見せて、泣きながらお腹が痛いふりをして断りの電話をいれたのを覚えている。


そんな時、何回か遊んだことのある子に家に誘われて私ともう一人の子で遊びに行ったことがあった。

冒頭の話に戻る。
ここからが私が体験した子供の頃のえっちな体験である。

その子の部屋で私たちは「大人のおままごとをしよう」という話になっていた。
何が大人なのかの区別は私にはよく分かっていなかったが、小学生にしてはどこで覚えてきたか分からないような、離婚の話だったりとか夫が仕事の愚痴をこぼすだとかリアルな夫婦生活を演じるというものだった。

きゃっきゃきゃっきゃと楽しく遊んでいたのだが、急にカーテンを閉め切って布団の中に入って「じゃあ寝ようか」と友達は言った。

二人はベッドの中に全身潜り込んで、何かコソコソ話していて何やら楽しそうだった。
時にはベッドがきしむように揺れて、何か動いていたりもしたようだった。


やたら第三者視点で語っていることに気づいていただけたであろうか。

そう、私はその時のおままごとで犬になっていた。正確にはゴールデンレトリバーのぺろちゃんになっていたのである。


ぺろちゃんこと私はご主人たちが何やら楽しそうにしているのをベッドの隣で見つめていた。カーテンの隙間からはまだ明るい陽の光がキラキラとこぼれている。


え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
めっちゃひま〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



そう思ったぺろちゃんはご主人たちが入ってる布団をめくろうとした。すると妻役の友だちが「きゃっだめよぺろちゃん!今はあっちいってて!」と諭してきたのだった。


え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
だめなの〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜????


二人は楽しそうだった。
なにか身体をつつきあってるらしく「きゃっやめてよ〜」という声も聞こえてきた。
SEXの真似事をしてるのであろう。
とはいえSEXがいかようなものなのか詳しく知っている者はその場に誰一人いなかったのだ。「ベッドの中で体をつつき合う」というのが彼女たちが考えたSEXの形だったのだろうと思う。

近くで彼女たちのくぐもった声を聞く私は、そのいやらしさの何たるかは理解していなかったが、なんとなくその行為のいやらしさは感じ取っていた。

結果的に横で見ている私はどういう反応をするのが正解だったのだろうか。


「くぅ〜〜〜ん・・・・・・」


とりあえず、切なそうに鳴いた。
今思うと主人の交尾を目の当たりにした犬の反応として「くぅ〜ん」は結構正解な気がする。

「おいらにもぺろぺろさせろぺろ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」と言いながらまぐわいにこっそり入るのも及第点くらいもらえるかもしれないがその時には思いつかなかった。
遊びから置いてけぼりにされてしまった疎外感。その遊びの不健全さに対する精神的居心地の悪さ。カーテンから漏れるオレンジの光を見てもう一度私は「くぅーん」と鳴いた。


小学校低学年にして、主人のセックスを目撃する犬の経験をわたしはしたのだ。人生において経験できるかは分からない犬の疑似体験。
これがわたしの幼少期におけるちょっとえっちな体験である。
皆さんもこれから生き物を飼うことがあったら気をつけて欲しい。
もうあんな悲しい声で鳴くのはわたし一人で充分だから。



ところでわたしが寝盗られもののAVが好きなこととこの一件って何か関係あったりします?