リハビリ人生

変な人間と日常の記録

と、思う私は根本がずっと変わらない

気が付いたら夏が終わっていた。
今年の夏はやたら「平成最後の夏だから」という文句をよく耳にした気がする。元号が変わろうが変わるまいが、どうせそこそこにしか生きられないのだからそんなに気を張りつめる必要はないように感じる。

とかなんとか言いつつ自分も今年は夏を意識して自分から夏を捕まえるようにしていた気がする。大人と子供の線引きがないのと同じで、今年はなんか夏らしいことしないと自分が夏にいないような気がした。洒落臭いことを言っているのは自覚しているが、なんとなくそうだと思ったのだ。
最近、妙に時間をもてあましている。確実にやらなければいけないことは大量にあるのだが、やらなくてもなんとかなるといえばなるので、やらずに一日の大半を肌触りの良い毛布に包まれながら、ネットで炎上してる女の動向を見つめ続けていたりする。
私自身の性格の粗悪さはさておき、私は燃えゆくネットの炎を見てるのが割と好きだ。
炎を加速させる人達のなんと生き生きとした生命力たるや。時には寝る暇も惜しんで火種を探してきて、燃え盛る炎をさらにゴウゴウと燃やす。傷付いている人間が存在しているのは知っているし、顔の見えない人間が炎の奥でみなどのような表情をしているのかと思うと不気味という言葉でしか言い表せないのだけれど、私はこの現象がひっくるめて、人間の臭さや焼けた匂いを感じることが出来てなんだか好きなのである。

この夏1番夏らしいことをしていた時、会話の流れで友達に「もう少し健やかに生きてくれ」と言われた。
健やかに生きるということと、毛布に包まれてネットに齧り付くということはおそらく対極に属しているのは私でも分かる。


9月が始まってもう夏が終わり始めているのは実感していた。けれど、それは私が認めなければいい話なんじゃないかとも思っていた。理屈は分からない。

カッサカサに枯らして先端だけが青い花を逆さにぶらさげて飾ってる喫茶店に行ってみるか、コンビニでソフトクリームを食べるかどうか一日中布団の中で迷って、その日はソフトクリームを食べることにした。
子供のときそのコンビニに行くと、運が良ければソフトクリームを買ってもらえるから、行く度とてもワクワクしていたことを覚えている。

当時はそのソフトクリームを買いに自転車を漕いで行っていたんだけれど、今は自分の車に乗ってエンジンをかけてむかう。車で5分。

ひさしぶりにそのコンビニに入ると、ソフトクリームの機械は色褪せていたけれどそこにちゃんとあって安心した。
一応他に買いたいものがないかコンビニを回ってみたけれど特に買いたいものもこれといってないので、何も持たずにレジに向かい「バニラのソフトクリームをください」と声をかける。
すると店員は「えっ!」と言ってあたふたと機械の元へ急ぐ。なにか困っている様子で、もう1人の店員を呼び、機械の前で相談をしていた。
大丈夫かと思っていたけれど店員は私の元へ返ってきて代金の支払いを済ませた。
もう一度機械のそばに戻ると、なにやらけたたましい音を立てて機械は動いていた。
手元にはドロドロのソフトクリームがあって、年配の店員が「ごめん!出せませんわ!」と私に声をかけた。

出せませんわて。と思いながら私は返金されたお金を財布にいれた。
アイスを代わりに買おうかと思ったけど、なんとなく買わずにそとにでて「ちゃんと手入れくらいしとけよ!」って思いながらエンジンかけて帰った。

「ソフトクリームを食べる日」はいつも通り、淡麗グリーンラベルをダラダラ飲む日に変わり、たぶんそのへんで夏は終わってった気がした。
平成が終わってもまだ私は2ちゃんねるを見て一日を過ごすし、巻き爪も治らないし、歩き方も変なままだけど、夏の終わりに涼しくなった夜風を迎え入れる瞬間も変わらないなら、それはそれで、