リハビリ人生

知り合いに「アケスケなブログ」って言われました。あけみって名前のスケバン?って思ってたら赤裸々って意味でした。

夢の作り方

「夢女子」という言葉がある。

自分の好きなものに熱を入れて追いかけるにも追いかけ方があって、その夢女子たちはいわゆる「自分が恋人になることを夢見」ていたり、異性として相手のことを意識してしまっていたりもする。

今から夢女子辛いあるあるをいくつか羅列していく。

①生身の推しに一生会えない
これは自分のいる次元より一つ下の次元の相手を好きになった場合である。次元が一つ下なので肌に触れることも直接話すことも叶わない。しかし、創作の上では自分と相手を引き合せ、肌を合わせることも可能!そう!ペンさえあればね。

②好きになった相手が死ぬ。
二次元の物語上、展開によっては推しが死ぬという最悪の展開も余儀なくされる。しかし、創作の上では推しに永遠の命を与え、自分との物語を続けていくことも可能!そう!ペンさえあればね。


と、まあ以上のことは二次元のキャラクターの夢女子になったら、という話であったが、私はどっちかというと、次元が同じ人を好きになる夢女子の方が辛いことが多いと思っている。

③ライブやイベントで推しに会えるので、何かしらの勘違いを起こす
次元が同じなので相手は自分と同じ時を送っている。そのため、ライブやイベントに出向くことで生身の推しを目にする機会が多い。そのため、「自分の推しが自分と同じ空間で息をしている」という事実から発展して「頑張れば相手の人生に自分も干渉出来るのでは?」という錯覚を起こす。この錯覚が様々な勘違いや災いを引き起こすのだが結果的にこのようなことが起きる。

④推しが結婚or彼女ができて絶望の淵に落とされる
これが三次元夢女子の最終的な行き着く先である。
好きになった相手の幸せを願い、相手のより良い人生応援していると思っていたら、いつの間にかその中に勝手に自分を入れ込み、「相手が自分の知らないところで勝手に幸せになっている」という事実に耐えきれない悲しみを抱いてしまうのである。

自分が推しの人生に影響を及ぼすかもしれないという0に近い可能性に希望を見出したり、推しが自分の人生(彼女や結婚相手)よりも自分たちファンを優先してくれるんじゃないかという自分勝手な望みを抱いたり、

自分でも無理だと分かっているのにも関わらず心のどこかで希望を隠しきれないのが夢女子なのである。


今では私は夢女子は卒業している(つもり)。

夢女子が世界一悲しい職業であることは身をもって知っているから。
某農業系アイドルグループのボーカルのことが本気で好きだった中学時代に熱愛報道が出て、私は散々泣いて立ち直れなかった。

もうあれ以来、こんな思いをするのは嫌だなと思っている。だから、自分の中の夢女子的な思考に蓋をしているけど、今でも追いかけたい人が出来ると、その人が既婚であることにどうにも出来ないやるせなさを覚えたり、彼女が出来たどうこうに一喜一憂する自分が少しいたりもする。
普段は表に出ることのない、大人になれない自分の弱い部分なのでそれは許してやってもいる。


ところで今日、声優の羽多野渉さんの結婚発表がニュースで流れた。
その時思い出したのは、自分の大好きな友達のことだった。
前に秘書の記事でも書いたダイナマイトスケベのOちゃんである。
Oちゃんは、部屋に何枚もの羽多野渉のポスターを貼り、羽多野渉のために何万ものお金を費やし地方から何度もライブに出向き、ファン一同のスタンド花を差し入れし、熱心にファンを続けていた。

Oちゃんが羽多野渉の夢女子をしていると明言をしたことはなかったけれど、少なくとも追いかけているファンとして、何かしらのショックは受けているのかもしれないと思い、連絡を取ってみた。

そこで返ってきたOちゃんの返答がこちら。

「皆が羽多野渉結婚で心配してくれてるみたいだけど、私は30歳を超えた声優は全員既婚者だと思ってるのと、羽多野さんの独り身エピソードに無理があったので、既婚者だと思ってたのでダメージ少ない」

なんて達観してるんだOちゃん。
もう既に推しが結婚しているという事実に対して覚悟が完全に出来ていたらしい。

「唯一の後悔はスタンド花をもっと豪華にしておけばよかった」

私はOちゃんの漢気にしてやられた。息を巻いた。

Oちゃんは続けてこう語った。


「ライブとかイベントはお互い彼氏彼女旦那嫁がいるいないとかじゃなくて、そのとき1番楽しんでるのが自分と羽多野渉ってだけでも、その空間は最高なものになるんだよ」

文字を辿りながら、自分が言えなかった正解を見た気がした。
そこには、夢女子やファンを超越した愛があった。
オタ活のしすぎで、クレジットの使い方を上司にまで指導されているOちゃん。
祖父が有名なスポーツマンであるOちゃんの背中は、どこまでも広く私の目の前にズンッと立ちはだかり、捕まることさえできそうにないなと思った。


何が正しい追いかけ方とか、ファンとしてどうあるべきかとか、そういう者は一切なくて、結局追いかけ方は自由だなと今では思っている。

でもOちゃんの考え方は、自分と好きな人が一番幸せであるという共通点を利用した、誰も傷つけることのない思考で、わたしはすごくカッコいいなと思ったのだった。

 

でも、私はもし今後また夢を見るなら、好きな人も、そして私も、誰も傷つけない、そんなやり方で夢を見る女の子になりたいなと思う。

 

 


サイトの入口で、空欄に自分の名前を入力しなくても、まだまだ自分で自分の夢は作れるらしい。