リハビリ人生

変な人間と日常の記録

大人の線引き

同級生の結婚の知らせをよく耳にするようになってきた。
24歳になる。そりゃ結婚もするし、子どもだってそろそろ出来てもいい頃なのかもしれない。


高校の同級生が、私が大学生の時に結婚をして、今では2児の母になっている。もっと早く子どもを生んで、小学生になりそうな子どもを持つ同級生もいたりする。

そんな人たちのことを見ると、何よりも「やばい」という気持ちが生まれる。この場における「やばい」は丁度よく当てはまる言葉がないから使っている。焦りや、羨ましさのやばいではない。どっちかというと、「せんぱい、マジパネェっす」の方のやばいだ。


結婚をしたいとは思う。
でも今ではないとも思う。
私が「結婚をしたい」と言い出す時は、現状に何かしらの不満を抱いていて、“ここではないどこか“に逃げ出したい時なので、正確に言うと「好きな人と温泉にでもつかってゆっくりしたい」の方が的を得ている。
結婚をしたところでその甘えに似た不満が解決されるかどうかは分からないので、少なくともそんなふうに考えているうちは、私は結婚できないんだろうなと思っている。


子どももほしい。
しかし、こっちはもっと先なんじゃないかと思っている。
友達は子どもをすごく欲しがっていて、子どもの将来や自分の年齢を逆算して計画的にいつ欲しいということを考えているのだが、私はその姿をみてやっぱり「やばい」と思っている。
リスペクトしている。だって私の何倍も大人だから。
私はまだ自分の子どもを自分以上に可愛がってやれる自信がないなと思う。そしてその責任感もない。自分はまだまだ子どもだと思っているし、子どもが子どもを育てることなんて出来ないと思っている。


父方のいとこと母方のいとこ、どちらも子どもを産んでいる。父方のいとこは両親がどちらも本当に美形なので、「ほんとにこいつ私の親戚か?」と思うくらい綺麗な顔をしている。そして母方のいとこは・・・その、メチャクチャ可愛いんだけど、私にマジでソッッッックリなのだ。正確に言うと私の小さい頃に。え?私が産んだの?ってくらいに。

その時初めて「子供が生まれたらこんな感じなんだな」という実感をもてた。
自分とまったく同じ顔をした小さな生き物に、なんとも言えない愛情があったのは確かだった。きっと私は子供が産まれたら、ちゃんとお母さんになれるのかもしれないなと、そう思えた。



話はそれるが今風邪をひいている。昨日から鼻水が止まらなくて目があかず頭がぼーっとして、最初は花粉症かと思った。私は花粉症になったことがないということだけが憂鬱な春を少し気分よくさせていたので、「ついにか・・・」と思った。耳鼻科に行ったら、医者のオジサンにニヤニヤしながら「んふっ花粉症なわけないでしょ・・・」って笑われた。なんだお前。ニヤニヤすんな。

問診票には耳鼻科らしくハクション大魔王が書いてあったり、ぬいぐるみがたくさんあったり子どもの存在がたくさん感じられたし、実際メチャクチャいた。治療室に入ってった子どもは数分後には全員泣きわめいていた。なんだか歯医者さんを思い出した。


私の番になって、検査のために鼻の穴をじろじろ見られた後、銀色の異物を鼻に突っ込まれた。痛い。さっき泣いてた子どもたちはこれをされていたのかと思った。
「ウワアアアアアン!!!!」
後ろで子どもが別の治療を受けて、泣きわめいていた。私も同じくらい泣きたかった。声をあげたかったけど「ウンッ」とか「ンゴッ」とか豚の鳴き声みたいなのしか出なかった。
医者はずっとニヤニヤしながら「んふっ痛いねぇ・・・」って言ってきた。ニヤニヤすんなって。遊びじゃねえんだぞ。

私は泣かなかった。(正確に言うと涙は出てた)
子どもたちみたいに泣きたかったけど泣かずに、治療費を払って車を運転して家に帰った。



子どもの頃は、子どもと大人の線引きが存在していて、いつか明確に大人になる瞬間が訪れるんだとばかり思っていた。
しかし本当はそんなことはなくて、その線引きは自分自身で引くものなんだと最近理解した。

自分のものさしと自分のペンで自分が大人であるという証明をするために境目を引く。自分に自信がある人はしっかりとその線を濃くひけるのだ。

今日のわたしは少し熱っぽい身体で線を引いて、鼻水でちょっと歪んだ線。

次はもっとうまく引こうと思っている。