リハビリ人生

知り合いに「あけすけなブログ」と言われました。アケミって名前のスケバンかと思ってたら赤裸々ということらしいです。

うさぎと毒ガスの島

大久野島へ行ってきた。


大久野島というのは瀬戸内海に浮かぶ広島県の島で二つの名称を持っている。

一つ目の名前が「うさぎ島」である。

その名の通り、うさぎがワンサカいる。
2013年に計測した結果によると700羽のうさぎがいるらしい。最初フェリーから降りた時はそんなにいるなんて信じられなかった。「いや、そんなにいないじゃ〜ん!」って馬鹿にしてたら、
木影とかよく見ると何羽ものうさぎがぎゅっっっって固まってる。
「え?!いたの!?」ってなる。
そんなに日陰が好きなんかい!

ほんで触ったらもうねぇ・・・
もうそれはモッフモフ。モッフモッフなの。
嬉しくなって島の外で販売してたエサをあげようとすると、膝に前足を乗せてエサを全力でもらおうとしてくる。そのわりにあげると、口にくわえてすぐに離れる。薄情な奴らめ。

あと何か知らんけどものすごい数の穴を掘ってる。
島唯一の宿泊施設がある公園内に、ボッコボコ穴が開いてるから、なんなんだろうと思ってたら、うさぎがそこにハマってる。
「これはわたしがハマるための穴です」と言わんばかりにハマってる。
なに?職員がうさぎのために穴ほってんの?って思ってたら、うさぎが自分で全力で穴を掘る姿を目撃した。穴にハマるためなら労力をいとわないプロフェッショナルたちがそこにいた。掘る→ハマる(寝る)→エサ食う→掘る→ハマる(寝る)→エサ食うの完璧なルーティーンが存在していた。

2時間近く車を運転してきて、そんなうさぎさんと、陽だまりの中にほおりこまれたらどうするって?
寝ました。気付いたらベンチで1時間くらい寝てました。連れはエサやりにハマってその間ずっとエサやっててうさぎと仲良くなってた。


あんまりにもうさぎが最高なので大きな目的を忘れそうになるが、わたしが大久野島に行きたかったのはその、大きな目的があったからだった。

もう一つの大久野島の名称が「毒ガスの島」
わたしが大久野島に行きたかった大きな理由のもう一つがこれだった。


大久野島は昭和初期、「地図から消された島」となった。旧日本軍は、島で毒ガスを秘密裏に製造することを決め、住人達を強制退去させ、毒ガス工場を作り上げた。
太平洋戦争末期には風船爆弾の風船部分も作られていたそうだ。

戦後、毒ガス製造に従事した者の毒ガスによる障害が次々と明らかになり、今でも後遺症に悩まされているらしい。
また、毒ガスが渡った中国で毒ガスのタンクが今でも見つかり、住民が気体を吸ったり、液体化したそれが体に触れたりして、今でも被害が続出しているらしい。中国政府は一刻も早い処理を日本にのぞんでいる。

毒ガス資料館から出て、再びうさぎたちと、うさぎとたわむれる人たちを見た時、なんだかわたしは笑ってしまった。

「異常な平和さだ」と笑ってしまった。

この島で毒ガスは確かに作られていたのだ。
その毒ガスは、実際に戦争で使われ、確かに人が亡くなったのだ。

ここは本来そういう島なのだ。




うさぎは鳴かない。

戦時中、毒ガスの動物実験用にうさぎが飼われていたらしい。

その頃のうさぎは全羽殺傷処分されたので、その時のうさぎの子孫はもう島にはいない。

1971年に地元の小学校で飼われてたうさぎ8羽が放たれて、繁殖して今の数になったらしい。

うさぎは鳴かない。

毒ガスで殺されたうさぎたちも。
放たれた8羽も。

うさぎの気持ちを考えようだとか、そんなことが言いたいわけじゃないんだけど、

うさぎたちが生きたということ
生きて生きて、増え続けたこと。

それがすごく、不思議で、特別で、怖くて、素敵で、うまく言葉に出来なかった。





「毒ガスの島」であり「うさぎの島」

並べるのもどうなんだという意見もあるらしいんだけど、やっぱりわたしは
「毒ガスの島」であり「うさぎの島」というのが、この島を最大限表していると思った。




島に一定数黒いウサギがいてすごく可愛かったので、家に帰って飼ってる黒猫を触ってみたら、なんかすごい硬かった。

大量のうさぎをさわってモフモフ依存症になって帰ったわたしだった。
お、最後に一言、患者が何か言いたいそうです。


ええからおめぇの尻モフらせろや!!!!!!!!!