リハビリ人生

知り合いに「アケスケなブログ」って言われました。あけみって名前のスケバン?って思ってたら赤裸々って意味でした。

猫の瞳

猫の目にはこの世界がどのように映っているのだろう。 長年の疑問である。 私の家には小さい時から飼っている猫がいる。猫のアニメのノンタンが好きだったため、幼い私と姉にのんたんと名付けられた。 表し難い柄模様のずんぐりと太った体格をした猫だ。 のんたんはふてぶてしいオーラをまとっている割に、瞳がとても綺麗だ。 大きくて金色に光るその目はずっと見ていると吸い込まれそうになる。 人でもそれぞれ瞳の色が違っている。 欧米の人なんかに見られるブルーアイを見て子供心に「世界が青色に見えているのかなあ」と思ったこともある。その理論が本当ならば私たちは世界が黒や茶色に見えている訳だから、間違っていて良かったと今では頷くばかりである。 しかしどうやらブルーアイと私たちの目の見え方が違うことは科学的に証明されているらしい。眩しいと感じる光の量が違うんだとかなんとか。 まあでも今回言いたいのはそのような科学的だったりすることではない。 猫とおしゃべりがしたい。不思議なことがたくさんある。 興奮して金色の目の中の一筋の黒い線が丸くなり黒い円が瞳を埋め尽くす時、目の前の世界は変わって見えるんですか? 何も無い所をずーっと見続けているのは、何かがそこにいるからなんですか?それとも何もいないからそこを見つめ続けているんですか? たくさんの気になることがある。猫は得体が知れない。 興味を持ちすぎて小学生の時、のんたんの視界に入り続けようとして、至近距離で見つめ続け、顔を背ける度にまた視界に入るという遊びをしていたら、「やめろ」と言わんばかりに、猫パンチの鉄槌がくだった。 猫は目の前の存在にヒエラルキーを決めていると思う。階級制度だ。 階級のてっぺんがうちの母。しつけを全て母が行っているからなのだろうか、うまく手懐けられて夜はいつも一緒に布団で寝ている。 その次が姉。ご飯をくれるから。これに間違いない。 次が私。ガキ扱いをした目で見てくる。 最後が父。のんたんはオスだからなのか同姓を嫌い、下に見ている。 のんたんは私が何を言っても言うことを聞いてくれない。寝る時とか来て欲しい時に来てくれなくて、勉強の時とか来なくてもいい時に寄ってくる。 彼の目には私がどう映っているのだろう。 小学生の時、親から叱られて泣いていたことがあった。何で叱られたのかは覚えていないが、ひどく泣いた。家の二階の誰もいない部屋の隅っこでひたすら泣いた。誰もが自分を認めてくれていない。誰も味方がいない。そんなふうに全てに悲観的になって、涙が止まらなかったことだけは覚えている。 部屋の扉があいた。 誰かと思ったらのんたんだった。 のんたんは部屋の扉を簡単に開ける猫だった。 のんたんは私の近くに来て私の横に座って私をじっと見ていた。鳴かなかった。見ているだけだった。 私はいたたまれなかった。どうして見ているのかと思った。 「元気づけてくれてるの?」 もちろん返答はなかった。 彼の目にはわたしがどう映っていたのだろう。 小さな私。親に怒られたくらいで大泣きしている小さな私。 そして私も大人になった。実家にはしばらく帰ってない。今度帰ったらのんたんとおしゃべりがしたい。「私変わった?」って。 きっとまた猫パンチされるだけなんだけど。