リハビリ人生

知り合いに「アケスケなブログ」って言われました。あけみって名前のスケバン?って思ってたら赤裸々って意味でした。

どんくさの血統


私はかなりどんくさい。

足は遅い。
体力がこれでもかというほどない。
走り方も歩き方も変だ。
何もないところで転げまくる。

思春期、運動神経は母親側から遺伝すると知り、この呪われた血筋を自分の代で止めることが出来ないことを察した私は絶望感に苛まれた。
運動神経が良かったら私の人生の幸福度はどれくらい上がっただろうと学生の時何度も思った。
また、気が強そうな見た目をしているのか、絶対に「バスケ部?」と聞かれ体力測定の時には期待の眼差しで見られるのだが、こちとら「明日」を「希望」と読むような背筋が凍るポエムを延々と書き連ねていた文芸部である。50メートル走で、「手加減してね〜」と言ってきた隣の子の背中がどんどん遠くなっていく様を、遅い足をバタバタさせながら私は追いかけていた。そこに希望などなかった。

今日のブログはそんなどんくさい私のある日の下校の話である。


私が通っていた学校は山の上にあり、帰る時は大きな坂を自転車で乗って降っていくような所だった。坂の途中に大きな池がありそこに、学校に嫌気がさした生徒が教科書を投げ入れてるとか、池のヌシがその学生の鬱憤の塊を食べて巨大化してるとかいう噂も聞いた。

坂は急角で池をなぞって急カーブする構成になっている。私は自転車でスピードを出してくだっていくのが怖くていつもブレーキを踏みながらくだっていた。

しかし、その日は雨だった。


「キキキキキーーー!!!!!
ガシャーーーーン!!!!!!!」

何もないところで転げる天才こと私にとって、雨の日の急カーブで転げるなど笑止千万。そう。転げたのである。なんの面白みもない。こうなるだろうなと思ったタイミングでその通りにやり遂げる女。

私は自転車から落ち、顔が道路に激突した。
一瞬パニックになったが、「こんな恥ずかしい所同級生に見られてはならない」と震える身体を起こし、とっさに違和感を感じた口元に手をやった。


血が。
血が出ている。


口から血が出ていることに気がついた。鏡を持っていなかったのでどう傷が付いていたのか分からなかったが、私の口から血が出ていた。そのことは私をパニックの渦に引き込むには充分だった。

パニックどんくさ流血少女は考えた。
そして、「とりあえずこの口から流血している姿を同級生に見られるわけにはいかない。」という結論に落ち着いた。
「4組の梅くらげは下校時には口が裂けてるらしい」という噂が広まろうものなら、私のときめきスクールライフは終わりを遂げる。高校3年間処女のまま終わりを遂げる。(なお高校3年間処女のまま終わりを遂げた)

「どうにかしてこの口裂け流血状態をなんとかせねば!」と思った結果私が生み出したのはこれだった。


ティッシュを噛みしめながら家に帰る。


ティッシュは私の口裂けから流れる血液を吸収し、口元から垂れ流れるのを抑えてくれると考えたのだった。
実際やってみたら、口内に異物が入ってきたことによる嫌悪感で歯磨きをしながら嗚咽音を出すジジイのモノマネをしてしまったが、誰にも見られなかったので、「4組の嗚咽ジジイ」の異名を唱えられることはなかった。


ティッシュを噛みしめ時々嗚咽ジジイになりながら、必死で家に帰った。
雨の中、自転車を漕ぎながらカッパはなんの意味もない。ごうごうと降りしきる雨は、少女をびしょ濡れにした。

視界が悪く、血塗れのティッシュを食ってるので脳の回転も衰え、何回もこけそうになった。
道中に突如現れる地面からニョキニョキ生えてる車止めの石にドゥンッてぶつかったりもした。
あれなんの為にあるんだ。こんなところに車なんて通らんだろ。
血塗れのティッシュ食ってる口裂けの処女がドゥンッてなることを予想出来なかったのか。予想しろ。口裂けのどんくさ処女がこの街にいることを。


口から血は止まらないし、疲労でいっぱいだし、雨でびしょ濡れでいつもなら40分で帰れる所が帰宅に1時間以上かかってしまった。
携帯を持っていなかったため連絡出来ず、門限に厳しい母親に怒られることも予想したが、正直に今日あったことを話そうと思った。

私はどんくさい。
どんくさい私の人生をせめて母親に肯定して欲しいと思った。


家の扉を開けると、何か言いたげに母親が近寄ってきた。


「・・・ヒャッ」

私の顔を見た瞬間母親は小さく悲鳴をあげた。
そして、私に向かっておそるおそる言葉を発した。


「・・・な、生肉?」


予想だにしなかったワードが入ってきた。
生肉がなんだ。びしょ濡れの娘が帰ってきて他に何かないのか。母親は何も答えない私に続けて聞く。


「なんで生肉食ってんの・・・?」


そこで察した。
母親は私の口から出ている血塗れのティッシュを生肉だと思っていた。

雨の日に生肉食いながら帰宅するって一体なんだ。

平成の日本のどこにそんな野性的な女子高生がいるんだ。
ひと狩り行こうぜじゃないんだ。これは血を吸収したティッシュだ。

 

「にゃ、にゃまにくひゃにゃい・・・・・・・・・」

 

私は傷の痛みと口の中のにゃまにくで喋ることが出来なかった。
事態を察した母親は転げ回って大爆笑していた。

 

「生肉かと思ったwwwwwwwwゲラゲラゲラゲラ!!!!!!!!! なんで生肉食ってんのwwwwwwwwゲラゲラゲラゲラwwww」

「にゃまにくひゃにゃい・・・・・・・・・にゃまにくひゃにゃい・・・・・・・・・」


私はホロホロと涙を流しながら生肉を噛み締めた。

次の日、私が生肉を噛みながら血まみれで家に帰ってきた話は親戚中に広まっていた。


呪われた血筋は延々と続いていく。

ティッシュに染み込んだどんくさい私の血も受け継がれ、また新しいティッシュへと染み込んでいく。

自分の人生は自分で受け入れていくしかない。そして、いつか生まれてくるわが子の人生も、受け入れさせるしかないのだ。

生肉に笑い転げた母親は、星雲のコマーシャルを歌いながら陽気に風呂に入っている。

 

 

開け放て!セクハラの扉!


突然のセクハラは笑ってしまう。

 

最近セクハラが話題になっている。

実際にセクハラに悩んでいる人もいるし、私がそれについて意見をどうこう言う訳では無いのだが、今日は個人的な経験からくる話である。


大学の時に働いていたバイト先のラーメン屋の店長は、ヤンキーあがりのガテン系みたいな見た目をしていた。
店にやって来る知り合いも大抵皆いかつかったし、矢沢永吉に憧れてるのか知らんけど控え室の壁に矢沢永吉の写真が押しピンで乱雑に止められていた。


店長は普段店で働くことはなく、大元の会社にいることが多いのだが、深夜3時営業時間が終わって片付けをしているあたりにダル絡みをしによくやって来た。

ここで皆さんに問う。深夜3時まで飲食店で働いたバイトたちにかける労いの言葉とは一体なんであろうか?
「お疲れ様!」とか「今日は忙しかった?」とか普通そんな感じじゃなかろうか。
飲み屋街に位置するラーメン屋で、酔っ払いの相手をたくさんこなし、わたしは疲労感でいっぱいだった。そんななか、労ってくれる人の言葉が欲しいと思うのは当たり前の心理だろう。


ガラガラッ

 

勢いよく扉が空いた瞬間、店長の姿が見える。
私は店長からの労いの言葉を待つ。


「〇〇ーーー!(わたしの名前)
何円払ったらクンニさせてくれる!?!」

 

え?おつクンニさま?

信じられない文言が耳に入ってきたけど、おつクンニさまってこと?お疲れ様って文字で書くとお疲れ様だけど正しい発音は「おつクンニさま」だったりするってこと?


「2000円!?」


いやほんで安いな。
いや知らんけど。クンニの相場を知らんけど。市場でどのくらいの値段でクンニの取引がなされてるのか知らんけど。


その時の私はというと、爆笑してしまっていた。
発言としては完全に最悪の部類だし、最悪のセクハラである。
しかし、そんな気持ちの悪いセクハラも言い方によって印象が変わってくるのだなということを知った。


行き場を失った手がおそるおそる、二の腕にきてチョンッて指先でつつかれて「おまたを舐めてもいいですか」ってヌメヌメと聞かれるよりは、パーンッ!と扉を開け放った瞬間「クンニさせてー!!!!!!!!!」って言われた方が清々しい。清々しいし、いざされるとメチャクチャ笑ってしまう。清々しくセクハラされると笑う。


何事も正々堂々向かっていくのがいいのかもしれない。恐る恐る胸の奥から出したドロドロとした欲求は、いざ形に現れると気持ち悪く思われてしまいがちだ。だからこそ勢いよく出して見た方がもしかしたら健全なコミュニケーションが取れるのかもしれない。

 

開け放て!セクハラの扉!そこにこそ誰も傷つかない世界があるかもしれない!


店長はその後も扉を勢いよく開けながら「おい〇〇(わたしの名前)!セックスさせろ!!!」と入ってきた。
いいぞいいぞ!そのまま突き進め店長!と、私は応援していた。

 

 

その後店長は正々堂々と別のバイトの女を抱いて、奥さんにバレて大変なことになっていた。

 

おつクンニさまです。

 

 

編集後記:

この記事に書いてあることは全部間違いです。正々堂々とセクハラするのはやめましょう。

あと、安田大サーカスのクロちゃんによると、3時間クンニを続けるとクンニーズハイになって舐めているのが当たり前という感覚になるそうです。

クンニーズハイってなに?

娘の乳を笑うな


母親が娘の貧乳を馬鹿にしている。

母親は胸が大きい。母親のカップ数をブログに公表しても私にも読者にもなんのメリットもない(ちなみに自分の胸がないことを延々とブログに書き続けることも私にも読者にもなんのメリットもない)のでわざわざ言わないが、子どもを産んでから大きくなっていったらしい。

そんな母親も子どもの時は胸がまったくなかったらしく高校生の時、次の授業が体育なのにブラジャーのホックがこわれて困っている同じく貧乳の友達のために、自分のブラを外して教科書の間にブラジャーを挟んで友だちに貸してしばらくノーブラで過ごしたという逸話がある。いや、これは貧乳であることを証明するエピソードではなく、ただ、母親が図太い神経を持ち合わせた人間であることを格付けた話か。


痛みを知った人間は、傷ついている人に優しくなれる。その理論で世界は今日も一定の優しさを保っている。
昔は胸が小さかった母親は、貧乳側の気持ちがわかる人間であるはずである。

なのにも関わらず、母親はわたしの胸の小ささを若干馬鹿にしてくる。

私が母親の服を借りて鏡を見ていると、
「あ〜やっぱりその服あんたみたいな胸がちっちゃい子が着るとよー似合うね。いいね、胸が小さくて・・・」
とニヤニヤ笑いながら言ってくる。自分より娘の方が服が似合ってることを認めないために、胸がでかいことでニヤニヤ笑いながら優位に立とうとするな。


昨日は母親と買い物に行った。
下着売り場のコーナーに入ったのでわたしは自分の下着が見たいので、付き合ってほしいと話した。

下着売り場でブラジャーを見ながら母親は「そもそもAとかサイズあるの?Bからじゃない?」と言ってきた。アルファベット何から始まるんだ。青空の下でアルファベットの歌を歌い直せ。Aから始まるだろ。

しかしマジでない。
23年間このカップと向かい合ってきたが、下着売り場におけるAカップの迫害のされ方は凄まじい。

情事の際に男性が服をめくって下着に出会える瞬間は「ふわーお♡」という効果音が出るような可愛くてセクスィな下着が似つかわしいと私も思っている。今夜はいざ決闘ゆかん!勝負あれ!と私の中の猛き者がざわつく時には「勝負下着」なるものも身につけたい。

でもない。
可愛いやつがない。

私はもっとチラリと見えた瞬間に「ふっ今夜は遊んであげる」とブラジャーが頭の中に直接話しかけてくるようなセクシーな奴が欲しいのに、「あっ・・・ドモ・・・こんなん出ちゃいましたけど、どっすか・・・」みたいな自信のなさそうなブラジャーしかAカップにはない。


すると母親が私が見てたところと別のブースから「こんなんあったよ」と持ってきた。

 

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私の頭には悠然と空を泳ぐ一匹の鯉が浮かんだ。

そのブラジャーはセクシーを象徴する真っ赤な色をしているが、細かく色が部分によって変わり、それは魚の鱗を想像させ、出会い頭に「うお(魚)〜」と驚きたくなる感じだった。ていうか魚だった。鯉のぼりだった。

鯉のぼり柄ってなに?
可愛いの?

勝負下着になる?

服の下から出てきて「よっ!鯉のぼりか!めでたいね!こりゃめでたいついでに、一本まぐわらさせていただきますか!」ってなる?

「これ・・・いいじゃん。可愛いじゃん」

母親はニヤニヤわろとる。

「いや、これ鯉のぼりじゃん。」

私が突っ込むと母親が下着売り場で響くくらい噴き出していた。

「こwwwwいwwwwのwwwwぼwwwwりwwww」

どうやら鯉のぼりだと思って持ってきていた訳ではなかったらしい。しかし、この笑いよう、元々「おもろいもん見っけたでワレ!」と持ってきたものが娘によって的確に表現されたことに大爆笑している笑いである。
娘の小なる胸におもろいもん付けようとするな。

 

胸に面白いものを付けられそうになったし、その後も「これどう?」と言って小学五年あたりからつけ始めるスポーツブラを持ってくるボケをしつこく繰り返されたので、気分を害し、結局その日はブラジャーを買うのをやめた。今度は自分一人で来ることにしようと思った。

 


家に帰ると、母親が少し反省した様子で話しかけてきた。

「悪かったわ。あんたも少しは悩んどるのにな・・・。仕方ない。おっぱいを大きくする方法を教えてあげよう」

わたしは散々ネタにされて拗ねていたし、おっぱいが大きくなる方法なんて散々ネットで調べてるから別に今更聞くことはないと思って、話半分で携帯をいじっていた。

「おっぱいを大きくするためにはね、
自分の肉に話しかけるんよ」

自分の肉に話しかける。

いかなるまとめサイトにも載っていなかった項目が登場し、動揺を隠せない。
どういうこと?

「あんた、細く見えるけどわりと肉がガッツリめについとるじゃろ?」


言うな言うな。
おっぱいも小さいうえに、そこそこお腹も出ていることを言うな。

「風呂上がり、その肉たちをおっぱいの方向に寄せ集めます。お腹の肉も、脇下の肉も。ほんで話しかけるんよ。
お前もおっぱいだよ
って」

完全に馬鹿にしている。完全に馬鹿にしているはずなのだが、なぜか妙に真剣な目をして私に話しかけている母親。
いや、私に話しかけているのではない。
シュミレーションとはいえ、そこには贅肉という名の我が子をあやす母親の姿が見えた。

 

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「よしよし・・・気づいてなかったとおもうけど、おまえもおっぱいだよ〜」

「ほぉら元の場所におかえり〜」

「ほらおまえもゆけ〜」

「ほらほら〜」

 

贅肉を寄せ集めながらおっぱいに話しかける母親には母性が溢れていた。

使命を与えられた贅肉たちは一斉に産声をあげながら母の元へと向かっていく。おっぱいとは母なる大地のことなのかもしれない。
そこに向かっていく贅肉たちは、おっぱいになるべくして生まれてきた肉たち。

 

「いや、絶対うそじゃん」

 

母親の真剣な眼差しに騙されそうになるが、ここは今までの馬鹿にされ方を知っているので、冷静な判断でいく私。

 

「いや、ほんとうだし。毎日私話しかけることでカップ数2つ分あがったし」

 

ぜってー嘘。

しかし、高校時代胸が小さかった母親はいまでは大きいことを考えると、妊娠を経験した以外にも大きくなった要因があったと考えられるではないか。

母親が言っていることが確かであれば、私にもまだおっぱいが大きくなるチャンスがあるのかもしれない。

 

今まで馬鹿にしてきた分、最後くらいは本当のことを言って娘を勇気づけているのだとしたら・・・?

今まで馬鹿にしてきたのは、私がそれをエネルギーに変えて、バストアップの努力を図っていくためだったとしたら・・・?

 

 

お母さん・・・

もしかして、最初から貧乳を馬鹿になんて・・・

 


贅肉に話しかける奇天烈な母親。しかし、妙な説得力を身に纏う母親。とりあえずその場は「ふーん」という適当な相槌で乗り切った。

 

 

 

 

その日の夜、お風呂上がりにこっそりお腹の肉を寄せながら「おまえもおっぱいだよ〜」って言っているところを母親に見られて大爆笑された。


母親は今日も娘の貧乳を馬鹿にしている。

 

夢の作り方

「夢女子」という言葉がある。

自分の好きなものに熱を入れて追いかけるにも追いかけ方があって、その夢女子たちはいわゆる「自分が恋人になることを夢見」ていたり、異性として相手のことを意識してしまっていたりもする。

今から夢女子辛いあるあるをいくつか羅列していく。

①生身の推しに一生会えない
これは自分のいる次元より一つ下の次元の相手を好きになった場合である。次元が一つ下なので肌に触れることも直接話すことも叶わない。しかし、創作の上では自分と相手を引き合せ、肌を合わせることも可能!そう!ペンさえあればね。

②好きになった相手が死ぬ。
二次元の物語上、展開によっては推しが死ぬという最悪の展開も余儀なくされる。しかし、創作の上では推しに永遠の命を与え、自分との物語を続けていくことも可能!そう!ペンさえあればね。


と、まあ以上のことは二次元のキャラクターの夢女子になったら、という話であったが、私はどっちかというと、次元が同じ人を好きになる夢女子の方が辛いことが多いと思っている。

③ライブやイベントで推しに会えるので、何かしらの勘違いを起こす
次元が同じなので相手は自分と同じ時を送っている。そのため、ライブやイベントに出向くことで生身の推しを目にする機会が多い。そのため、「自分の推しが自分と同じ空間で息をしている」という事実から発展して「頑張れば相手の人生に自分も干渉出来るのでは?」という錯覚を起こす。この錯覚が様々な勘違いや災いを引き起こすのだが結果的にこのようなことが起きる。

④推しが結婚or彼女ができて絶望の淵に落とされる
これが三次元夢女子の最終的な行き着く先である。
好きになった相手の幸せを願い、相手のより良い人生応援していると思っていたら、いつの間にかその中に勝手に自分を入れ込み、「相手が自分の知らないところで勝手に幸せになっている」という事実に耐えきれない悲しみを抱いてしまうのである。

自分が推しの人生に影響を及ぼすかもしれないという0に近い可能性に希望を見出したり、推しが自分の人生(彼女や結婚相手)よりも自分たちファンを優先してくれるんじゃないかという自分勝手な望みを抱いたり、

自分でも無理だと分かっているのにも関わらず心のどこかで希望を隠しきれないのが夢女子なのである。


今では私は夢女子は卒業している(つもり)。

夢女子が世界一悲しい職業であることは身をもって知っているから。
某農業系アイドルグループのボーカルのことが本気で好きだった中学時代に熱愛報道が出て、私は散々泣いて立ち直れなかった。

もうあれ以来、こんな思いをするのは嫌だなと思っている。だから、自分の中の夢女子的な思考に蓋をしているけど、今でも追いかけたい人が出来ると、その人が既婚であることにどうにも出来ないやるせなさを覚えたり、彼女が出来たどうこうに一喜一憂する自分が少しいたりもする。
普段は表に出ることのない、大人になれない自分の弱い部分なのでそれは許してやってもいる。


ところで今日、声優の羽多野渉さんの結婚発表がニュースで流れた。
その時思い出したのは、自分の大好きな友達のことだった。
前に秘書の記事でも書いたダイナマイトスケベのOちゃんである。
Oちゃんは、部屋に何枚もの羽多野渉のポスターを貼り、羽多野渉のために何万ものお金を費やし地方から何度もライブに出向き、ファン一同のスタンド花を差し入れし、熱心にファンを続けていた。

Oちゃんが羽多野渉の夢女子をしていると明言をしたことはなかったけれど、少なくとも追いかけているファンとして、何かしらのショックは受けているのかもしれないと思い、連絡を取ってみた。

そこで返ってきたOちゃんの返答がこちら。

「皆が羽多野渉結婚で心配してくれてるみたいだけど、私は30歳を超えた声優は全員既婚者だと思ってるのと、羽多野さんの独り身エピソードに無理があったので、既婚者だと思ってたのでダメージ少ない」

なんて達観してるんだOちゃん。
もう既に推しが結婚しているという事実に対して覚悟が完全に出来ていたらしい。

「唯一の後悔はスタンド花をもっと豪華にしておけばよかった」

私はOちゃんの漢気にしてやられた。息を巻いた。

Oちゃんは続けてこう語った。


「ライブとかイベントはお互い彼氏彼女旦那嫁がいるいないとかじゃなくて、そのとき1番楽しんでるのが自分と羽多野渉ってだけでも、その空間は最高なものになるんだよ」

文字を辿りながら、自分が言えなかった正解を見た気がした。
そこには、夢女子やファンを超越した愛があった。
オタ活のしすぎで、クレジットの使い方を上司にまで指導されているOちゃん。
祖父が有名なスポーツマンであるOちゃんの背中は、どこまでも広く私の目の前にズンッと立ちはだかり、捕まることさえできそうにないなと思った。


何が正しい追いかけ方とか、ファンとしてどうあるべきかとか、そういう者は一切なくて、結局追いかけ方は自由だなと今では思っている。

でもOちゃんの考え方は、自分と好きな人が一番幸せであるという共通点を利用した、誰も傷つけることのない思考で、わたしはすごくカッコいいなと思ったのだった。

 

でも、私はもし今後また夢を見るなら、好きな人も、そして私も、誰も傷つけない、そんなやり方で夢を見る女の子になりたいなと思う。

 

 


サイトの入口で、空欄に自分の名前を入力しなくても、まだまだ自分で自分の夢は作れるらしい。

お嬢様は犬にパンティを盗まれる

夢日記をつけてはいけないという話を私は信じている。


毎日起きた時に見た夢を記録することによって、自分の意識の上で夢と現実との境界線があやふやになってしまい、どこまでが夢の話だったか現実だったか分からなくなって発狂してしまうらしい。
いつだったかその話を耳にして、絶対に夢の内容を記録するのはやめようと心に誓っていた。

しかし、今日見た夢はどうにも印象的で忘れることが出来ないので、あえてブログにも留めておきたいと思う。


今日、夢の中で私はオナニーが大好きなお嬢様になっていた。

自分でもまったく意味がわからないが、オナニーが大好きなお嬢様だった。



お嬢様なので住んでいる家はとても大きい。そして、執事があちらこちらに構えていて、いついかなる時もわたしのことを見守っている。
強盗が入ってこないように家中監視カメラが張り巡らされており、四六時中家の様子を伺っている。

この状況で何が起こっているかもう皆さんにお分かりいただけたであろうか。


オナニーが出来ない。

お嬢様はオナニーを自由気ままにすることが出来ないのでございます。
セバスチャンよ。これは死活問題である。
お嬢様は思春期で(そういう設定だった)色んなことがしてみたい年頃。覚えたてのそういうことをしてみとうござるのじゃ。

ということでお嬢様は作戦を企てるのです。
「絶対に人に見られることなく自由にオナニーをしてやるぞ大作戦」である。
もう監視されたオナニーなどしない。私は自由なオナニーを手に入れる。

学校帰り、迎えに来た執事に「今日は用事があるから、どこどこに何時に迎えに来てちょうだい」と言い渡す。
執事の目が離れたら、いそいで河川敷へと向かう。河川敷の橋の下には小さな扉があってそこには人が身を屈めて一人分入れるスペースがある。
狭すぎるとか不衛生だとかそんなことはどうだっていい。お嬢様はオナニーがしたい。!が全てなのだ。
そこに入ることがもうすでにゴールなのである。

監視の目が解け、お嬢様は扉を閉めた。
お嬢様はやっと手に入れた自分の時間を楽しむことが出来る・・・

「ワンワンワンワン!!!!」

すると、どこからともなく犬がやってきて、どうこうして、お嬢様のパンツをくわえて走っていった。

「か、返して〜!!!!私のパンティ返して〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!」

お嬢様は恥ずかしがりながら犬をノーパンで追いかけていった。



という所で目が覚めた。



この先、現実世界で私がノーパンで犬を追いかけてる所を目撃したら、「夢日記をつけるのはもうやめろ」と説いてやってください。

大人の線引き

同級生の結婚の知らせをよく耳にするようになってきた。
24歳になる。そりゃ結婚もするし、子どもだってそろそろ出来てもいい頃なのかもしれない。


高校の同級生が、私が大学生の時に結婚をして、今では2児の母になっている。もっと早く子どもを生んで、小学生になりそうな子どもを持つ同級生もいたりする。

そんな人たちのことを見ると、何よりも「やばい」という気持ちが生まれる。この場における「やばい」は丁度よく当てはまる言葉がないから使っている。焦りや、羨ましさのやばいではない。どっちかというと、「せんぱい、マジパネェっす」の方のやばいだ。


結婚をしたいとは思う。
でも今ではないとも思う。
私が「結婚をしたい」と言い出す時は、現状に何かしらの不満を抱いていて、“ここではないどこか“に逃げ出したい時なので、正確に言うと「好きな人と温泉にでもつかってゆっくりしたい」の方が的を得ている。
結婚をしたところでその甘えに似た不満が解決されるかどうかは分からないので、少なくともそんなふうに考えているうちは、私は結婚できないんだろうなと思っている。


子どももほしい。
しかし、こっちはもっと先なんじゃないかと思っている。
友達は子どもをすごく欲しがっていて、子どもの将来や自分の年齢を逆算して計画的にいつ欲しいということを考えているのだが、私はその姿をみてやっぱり「やばい」と思っている。
リスペクトしている。だって私の何倍も大人だから。
私はまだ自分の子どもを自分以上に可愛がってやれる自信がないなと思う。そしてその責任感もない。自分はまだまだ子どもだと思っているし、子どもが子どもを育てることなんて出来ないと思っている。


父方のいとこと母方のいとこ、どちらも子どもを産んでいる。父方のいとこは両親がどちらも本当に美形なので、「ほんとにこいつ私の親戚か?」と思うくらい綺麗な顔をしている。そして母方のいとこは・・・その、メチャクチャ可愛いんだけど、私にマジでソッッッックリなのだ。正確に言うと私の小さい頃に。え?私が産んだの?ってくらいに。

その時初めて「子供が生まれたらこんな感じなんだな」という実感をもてた。
自分とまったく同じ顔をした小さな生き物に、なんとも言えない愛情があったのは確かだった。きっと私は子供が産まれたら、ちゃんとお母さんになれるのかもしれないなと、そう思えた。



話はそれるが今風邪をひいている。昨日から鼻水が止まらなくて目があかず頭がぼーっとして、最初は花粉症かと思った。私は花粉症になったことがないということだけが憂鬱な春を少し気分よくさせていたので、「ついにか・・・」と思った。耳鼻科に行ったら、医者のオジサンにニヤニヤしながら「んふっ花粉症なわけないでしょ・・・」って笑われた。なんだお前。ニヤニヤすんな。

問診票には耳鼻科らしくハクション大魔王が書いてあったり、ぬいぐるみがたくさんあったり子どもの存在がたくさん感じられたし、実際メチャクチャいた。治療室に入ってった子どもは数分後には全員泣きわめいていた。なんだか歯医者さんを思い出した。


私の番になって、検査のために鼻の穴をじろじろ見られた後、銀色の異物を鼻に突っ込まれた。痛い。さっき泣いてた子どもたちはこれをされていたのかと思った。
「ウワアアアアアン!!!!」
後ろで子どもが別の治療を受けて、泣きわめいていた。私も同じくらい泣きたかった。声をあげたかったけど「ウンッ」とか「ンゴッ」とか豚の鳴き声みたいなのしか出なかった。
医者はずっとニヤニヤしながら「んふっ痛いねぇ・・・」って言ってきた。ニヤニヤすんなって。遊びじゃねえんだぞ。

私は泣かなかった。(正確に言うと涙は出てた)
子どもたちみたいに泣きたかったけど泣かずに、治療費を払って車を運転して家に帰った。



子どもの頃は、子どもと大人の線引きが存在していて、いつか明確に大人になる瞬間が訪れるんだとばかり思っていた。
しかし本当はそんなことはなくて、その線引きは自分自身で引くものなんだと最近理解した。

自分のものさしと自分のペンで自分が大人であるという証明をするために境目を引く。自分に自信がある人はしっかりとその線を濃くひけるのだ。

今日のわたしは少し熱っぽい身体で線を引いて、鼻水でちょっと歪んだ線。

次はもっとうまく引こうと思っている。

ない。

乳がない。

今日言いたいことはこれにて終了です。お疲れさまでした。打ち上げは駅前の和民で予約しておきます。幹事の電話番号は090-7171-081×です。「ないないオッパイ」で覚えてください。

いきなり触れづらい自虐を端的にかましたあげく、誰もノってないボケをし続けるとは、どういう魂胆だ無礼者!とお思いのことでしょう。どういう魂胆も何もありません。今日は私が貧乳だというこの悩みのみが続きます。理解した人から一刻も早くブログを閉じて、温かいほうじ茶でも飲んでください。


小6の時、胸の大きい子がいたけれどまだ小学生だしこの時点での成長はこんなもんだろうと思った。
中2の時、まだ牛乳に頼ればなんとかなるだろうと思っていた。
高2の時、内心もうダメだと思う自分を見つけては行って「まだ焦らずとも良い」と言い、
20歳を超えて、「お前は手遅れだから胸以外の長所を探せ」と言った。

様々なことを考えて悶々とする思春期を送る中で、胸の小ささはわりと本当にコンプレックスだった。別にモテたいから巨乳になりたいとか、そういうことを思っていたのではない。「女性という記号」としてのおっぱいという意識があって、それがない自分は女性としておかしいんじゃないかという不安がついて離れなかった。
今思えば、そういう考えこそ差別意識でもあるし、人としての魅力はそこではないと思えるのだけれど、当時の自分にはすごく大事な問題だった。


貧乳にも貧乳同士のコミュニティが存在している。

大学時代に仲良くしていたコミュニティの一部が揃いも揃って貧乳だったので、「チーム背中」とかいう地獄のあだ名で呼びあっていた。俺たち貧乳!いかにオモシロ自虐で世を乗り切るか日々研究中!ヒュウ!


貧乳は妙に群れたがる。仲間を見つけると嬉しくなるのだ。小さいのは自分だけじゃないということに安心し、「実はわたしも小さいんだよネ」なんてことを言ったり言わなかったりする。胸が小さいもの同士にしか分からない話をしてそこそこ盛り上がったりもする。わたしはそんな子が現れるといつも、マラソン大会で「一緒に走ろうね〜」って言われてたのに走り出したら置いていかれる裏切られの代表例えを思い出す。

なぜって?
決まってるじゃないか。

私より胸があるからだよ。

お前がこの貧乳ロードを一緒に走ろう言うたんちゃうんけ!!なのになんだなんだその谷間は!!谷間があるやないかい!!谷間のたの字もなく果てしなく広がり続けるこの平野貧乳ロードを走ってるのは結局私ただひとりかーーい!!!この!!この!!
カントリーロ〜〜〜ド!!この道ずっと〜〜〜!!!ゆけば〜〜〜!!!!!!!

 


そんな私のコンパニオン時代の貧乳悲しいエピソードを羅列して終わりにします。

 

①胸がないのが鉄板ネタ

胸が小さいことを指摘した人は100パーセント「俺が揉んだら大きくなる」と主張してくる。やかましいわ死にさらせ。

 

②「オッパイが大きい子指定の宴会」に呼ばれたことがある。

しかも2名中1人が私。オッパイ大きい子を呼んだはずなのに50%の確率でド貧乳が回ってくる客の気持ちを答えよ。

 

③服と胸の間に小銭を入れるというオッパイ賽銭を強要されたことがある。

問答無用でジャラジャラと落ちていった小銭を見つめて、よーっぽん!家内安全!願えません!

 

 

なんやかんや言ったけれど、人の魅力は胸だけじゃない。途中に言ったこれが全てです。

 

群れようとするな。媚びようともするな。

100人のオッパイがあれば、100人の貧乳がある。大きさに困惑するな。上も下も勝ち負けもない。
持って生まれたその貧弱な武器で戦う人生はお前だけのものだ。

走れ!行け!誰よりも速く!君だけの貧乳ロード!

 

 

以上です。
最近、ブログの方向性を完全に見失ってるって知り合いに相談したら「人間味があっていいと思う」って言われました。
人間ってこんな味してるんですね。