リハビリ人生

知り合いに「アケスケなブログ」って言われました。あけみって名前のスケバン?って思ってたら赤裸々って意味でした。

セクシーな修羅場を聞いたことがあるか

東京事変の修羅場を聞いていて急に思い出したことがあるので書く。

もうこのブログでも何回か書いたけど昔コンパニオンのバイトをしていた。
コンパニオンとは、おじさんたちの宴会を盛り上げるために呼ばれる女の子のことである。この説明でも「どういうこと?」とアホづらで聞いてくる人には「出張型のキャバクラみたいなもんだよ!」とか言っていた。まあ正直全然違うんだけど。

キャバクラと違う所は色々あるけど、その中の一つはお客さんに特別気に入られない限りもう一度会うということがないというところだ。一応チーフになったら名刺を渡して「これからもごひいきにどうぞ~」的なやり取りをするので、ごく少ない可能性でまたその人たちが来た時に指名してもらえることもある。

まあそんな感じで一期一会でどんなお客さんとも、ほぼ会うことがないというのがコンパニオンの利点だと個人的に思っていた。

ある時入った宴席で、控室でチーフの女の子から、「この後時間ある?」と聞かれた。
「ありますよ~」と答えたら、彼女は周りの女の子に聞こえないようにコソコソしながら「実は〇〇ちゃん(私の名前)、この後アフターの指名受けてるんよね、いいよね?」と言ってきた。

それあれじゃん。キャバクラのやつじゃん。
さっきキャバクラとここが違う!とか言ってたけどキャバ嬢が客と店の外で会うやつじゃん。

街中で私服に着替えて客と飲み直すのは、友達に見られたらさすがにやばいし、何より宴席と違って守ってくれる人がいないのでちょっとこわい。普通に行きたくないなと思った。

断るそぶりをみせたら逆にチーフにはめっちゃびっくりされた。「いや…でも〇〇ちゃん呼ばれてたからな…どうしようかな…」って困ってる。なんかわたしが困らせてるみたいになってる。なんでよ。

もう一人の指名受けてた子に相談したら、「あ、私前にやったことあるよー」と普通に返された。
流されやすい体質なので、そんな感じで仕方なくいくことになった。人生初のアフターである。



待ち合わせて、普通のチェーン店の居酒屋に入る。
男5女3で飲み会開始。
仕事じゃないからなこれ。絶対何一つ話さねえからな。とか思ってたんだけど、普通に沈黙とか耐えられないので、ちゃんと話した。

話はそこそこ盛り上がった気がするけど、なんにも覚えていない。
向こうは短い時間を使って「いかに女の子に良く思ってもらえるか」とか、接待なら「女というアイテムを使っていかにこの場を盛り上げられるか」としか思っていない。
だからガチ恋みたいなことをしない限り、会話の中で人間性のピースがかっちりはまるなんてことはお互い期待していないんだと思う。(私の主観です)

まあそんなこんなで、お互いの内面の一層目をつつきあうようなトークをそこそこして盛り上がったり、たまにぐだついたりしながら飲み会は終わった。


よっしゃー!!終わったー!!!かえろー!!と愛しいお布団のことを考え始めていた所、「次どうする?」との一言。
え?おひらきでは?まだやんの?と必死でチーフに目線を送っていたのだが、チーフは「カラオケいこっかー!」と、私が一番望んでない方向への後押しをしてきた。

ここでチーフについて触れておくが、チーフは私と同い年の女の子だった。わりとふくよかな体型をしているアジアンビューティな子だ。宴席中にはまとめていた長い髪は、おろすと毛先が赤色になっている。化粧が濃いギャルというわけでもなく、普段は大学に通っている独特の雰囲気を持っているノリのいい女の子だった。
彼女はアフターという行為に慣れまくっているので、この展開がなんにもおかしくないみたいにふるまって、むしろ楽しそうにしていた。



結局そのままカラオケに行くことに。
アフターでカラオケというのは最悪の極みみたいな選択だ。暗いし。距離近いし。

で、私の隣には宴席の時から私の事を気に入ってくれていた人が来た。
ヒルズ族与沢翼みたいな顔と体型をしている。
さっきの居酒屋では離れた席にいたので、「お待たせ」みたいな顔でこっちを見ている。待っていない。ガチ恋すんな。
太めの体型の男性は好みだけど、与沢翼似に関しては、「与沢翼だな」という感想しかない。それ以上でもそれ以下でもない。

翼は「何歌う?」と私にデンモクを渡しながら言ってくる。マキシマムザホルモンを歌いたい。私はロックが好きで、マキシマムザホルモンは絶対歌うしデスボイスも出す。「不勃起日本、ケツ毛引火」って叫びたい。でも全力でデスボイスを出すような雰囲気ではない。ぶっ生き返せる雰囲気ではない。
宴席用の十八番はあるけど、とりあえず私は翼にデンモクを託して今日は聞く専に徹しようと思った。


翼は浜崎あゆみの「Days」をいれてきた。なんで?


その瞬間意気揚々と歌う翼に私は思わず噴き出してしまった。メチャクチャにうまいのだ。ビブラートとか音が上がる所とかの出し方を完全にモノにしている。しかもうまいことを自覚している歌い方だ。段々腹立ってくる。
なんだこいつ。最初から歌いたいなら歌えよ。一人で気持ち良くなるな。

「〇〇(私の名前)がいる~それだけで~心がとてぇも↑あたたかくなるぅ~~~~」

やりやがった。こいつ。ついにやりやがった。
歌詞の君のところに私の名前いれてきやがった。二文字だからって語呂よく当ててくるな。あとそれ源氏名とかじゃなくて本名だからまじで勘弁してくれ。

「〇〇を好きなままでぇ~~~~~いていいですかぁ~~↑↓↑↓」

やめてくれ。手のひらを差し伸べながらこっちを見つめてくるな。ここぞとばかりにビブラートきかせるな。

翼から受ける全力のアプローチに我慢できず、私は助けを求めようとこの一連の流れを見ていたであろうチーフの方を見た。


チーフ、お膝に乗ってた。お膝に乗って完全に男に上半身を預けていた。

目を疑った。
歌とか聞いてない。二人の世界になってる。


え…?セックスしてる…?いやしてないけど。する前のやつ?始まるやつ?

もう翼の歌とかどうでもいい。
翼すげえこっち見てるけどもうどうでもいい。見るな。


そのあとチーフが歌ったのが東京事変の「修羅場」だった。元々かわいい声をしているんだけど、それにしてもうまかった。ていうかエロかった。チーフの修羅場はエロかった。


何時間か歌って宴もたけなわとなり、その後お開きということになった。
私たちはタクシー代をもらい、おじさんたちはもといた旅館に戻ることに。本当は街から歩いて五分の所に住んでいるのだけど、多めのタクシー代をもらって、一度断るそぶりをみせつつ私はしっかり受け取った。
ようやく帰れる…。なんやかんや言って宴席から場を盛り上げ続けた女の子同士で、ねぎらいあって帰ろうとしたその時、

「じゃ!私こっちだからー!気をつけてね!」

と、チーフは膝に乗っていたおじさんと腕を組み夜の街に消えていった。





以上が私の最初で最後のアフターの経験だった。

後から、他の子に話を聞くと、彼女は割といつもそんな感じらしく、全国からくるお客さんと仲良くなり、全国にお財布オジサンを増殖させているらしい。旅行やフェスに行くとそのおじさんと会い、宿泊費やらなんやらたくさんもらうそうだ。
キャバクラと違って、お客さんが全国からくるというコンパニオンのシステムを巧みに利用した作戦である。

彼女のことをあまり良く思っていない女の子も結構いた。しかし、私は逆に「最強だな」と尊敬していた。

アフターだってなんだって、やるなら全力でやる。そしてどうせやるなら全部搾り取ってやればいい。そんなサッパリした考えを持っている子こそ、お客さんにも好かれて、結果的にたくさんのオジサンを幸せにしているのだ。

とことん搾取する側に回って、自分の人生の為にする。こういう子こそ、水商売をやるべきなのかもしれない。そんな風に思った。



今でも東京事変の「修羅場」を聞くと彼女のセクシーな歌い声を思い出す私だった。
与沢翼の声は浜崎あゆみを聞いても、与沢翼を見ても特に思い出せない。


思い出さなくても、よい。

彼女は面白くない

 

オーストラリアから手紙が届いた。


え?オーストラリアに友達なんていましたっけ?と一瞬思うが、宛名のRの文字でなるほどと思う。

今回話に出てくるRは、韓国で一緒に垢すりを受けたRである。

 

 韓国のアカスリに行ったら地獄だった話 - リハビリ人生


彼女と最初会った時、どちゃくそいかついし怖いから関わらないようにしようと思った。

ファーストコンタクトは大学のサークルでの顔合わせだった。

私が入っていたサークルは一学年100人くらいいるでかい規模のサークルで、大きな枠組みの中に何個かの部局に分かれている。その中の一つに、平和部局という部局があった。
先輩が「カンボジアに行くよ!」とか大それたことをその部局のパンフレットに書いていて、私は「なるほど、カンボジアね、まあ大学生活の経験値としてもこういうの行ってみるのもアリよね」とクソ大学生として例に漏れない思考回路でで釣られて入ったのだが、実際は企画が通らなくてカンボジアに行く活動というのはボツになってしまった。詐欺である。カンボジア詐欺。まあなんやかんや続けて私はその部局長になったりもしたんだけども。そのカンボジア詐欺にひっかけられた中の一人が彼女だった。

Rは出会った当初、頭が半分に分かれていた。俗に言うツートンというやつである。彼女の頭は真ん中でくっきり分かれて、片方が金髪、片方が黒髪になっていた。ド目立つ。
そんな個性的な外見で「平和活動に興味あります!」と言ってる彼女を見て「うそつけ」と普通に突っ込みそうになった。


さらに、その時の彼女のTwitterのアカウント名は「みんなの〇〇」だった。私を取り合うのはやめて!私はみんなのものだから!とでも言わんばかりの自信に満ち溢れたアカウント名に、私はおそれおののいていた。自分が大好きじゃないとつけられないネーミングだ。
しかし、「みんなの〇〇」というネーミングセンスはあながち間違いではなく、彼女の人脈は凄まじかった。
色んなところで色んな人と仲良くなるので、びっくりする人がRを知っていたりする。Rを知っていることで共通の話題ができて、また仲良くなれたりする。
Rが人と人との接着剤のような役割を担っているようだった。

 

Rの髪型は色んな色になっていた。
黒金ツートンから始まり、黒赤ツートン、ピンク、1度黒金の間に赤色を混ぜるというオムライスみたいな髪型になったりもしていた。

さらに、赤が好きなのか、彼女の部屋は真っ赤なカーペットに真っ赤な置物の山、日の丸のドデカイ布を壁にかけているという、完全に女暴走族のやべぇ部屋だった。遊びに行った時すぐさまUターンして帰ろうと思ったのもの事実である。


ある時からはずっと黒髪になっていたのだが、彼女の奇抜な髪型、奇抜な部屋、その他もろもろの奇抜さを目の当たりにして、「ここまでする必要ある???」と私はよく不思議に思っていた。

 

そして、あることに気づいた。

Rは実は全然面白くないのでは?と

 

Rは人気者だ。でも、実際メチャメチャ面白いことをいつも言っているかと言われればそうでもないのだ。

彼女をよく見てると、その場のノリに合わせてメチャメチャ適当なことを言ってるだけなのだ。

韓国に一緒に行った時、フェリーが大阪についた瞬間「あぁ〜ここが韓国か〜何もかもが違うな〜」とか言い出すし、韓国に着いたら「やっと大阪かー」とか言ってくる。雑。雑なのだ。
どこいっても変なノリと勢いと、動きでなんとなく面白く見えているというだけなのだ。(それが出来るというのもそもそも凄い才能なんだけど)

彼女の面白くない所に気づいて私は、なんか逆に面白いなと思っていた。

 
人気者でいつも明るいRなのだが、いつか急に「ほんとはマジで友達が少ない」とか急に打ち明けてきたこともある。
仲良くなってから、Rはそんな闇の部分をよく見せてくれるようになった。
学生時代に色々あっただとか。
彼氏に物凄い束縛をするだとか。
酒を入れないと眠れないからいつも養命酒を飲んで寝ているだとか。実はものすごく暗いとか。

私はRのそういう話が大好きだった。

 

そしてR自身から聞かなくても私はRの好きな所を何個も知っていた。

不真面目なように見せかけて誰よりも大学で自分の好きなことを誇りを持って勉強している所だとか。 

部局の活動に参加出来なかったことが悔しくて、急に泣き出した所だとか。

面白いようで実は全然面白くないみたいな所。
そんなギャップ一つ一つに人としての奥行きが感じられて、結果的に魅力的な人だなと思わざるを得なかった。 

 

 

私は大学を卒業したが、Rは今何年生なのかよく分かってない。大学を何度も休学して、海外へ留学しまくっている。“みんなのR”というのをワールドワイドに展開しているみたいだ。ブラジル人にメチャメチャ惚れられて、自分への想いを込められたタトゥーを彫られたという話を聞いて、今こそ“みんなのR”という名称を活かせよと笑ってしまった。


自由人なのか、依存気質なのか、根暗なのか、明るいのか、彼女のことはいくら経ってもよくわからない。

 

友達のことを急にブログに書いたりするのはおそらくこれが最初で最後だろう。
Rのことを急にブログで書いたのは、オーストラリアから手紙が来て、前に「わたしのこともブログで書いてよ〜」と言われてたことを思い出したからだ。


その時Rに、

「わたし中学の時、工事の関係で卒業間近に校舎がぶっ壊されてさ!それを書いてほしい!卒業とともに思い出の地がぶっ壊されていく気持ちわかる?ガシャガシャガシャガシャーー!!!って壊されていく校舎見ながら『ここにいるのもあと少しか・・・』と思う気持ちわかる?!それについて書いてよ!!!!」

って言われてたんだけど、
なんだそれ。
書けるか。めっちゃ面白いけど。


とりあえずこんなんで許してもらおう。と、肝心のRの手紙を開いたら、中国製のハガキに「オーストラリアより愛をこめて。ってこれメイドインチャイナやないかーーい!(ここで爆笑する)」と書いてあったので、やっぱりこいつ全然面白くないな、と私は笑った。

ファッションじゃない方のクズとしての自己紹介

やらなきゃいけないことが出来ない。


昔から、今一番やらないといけないことを真っ先に後回しにしてしまうクセがある。完全なる悪癖。カス。ゴミ。虫ケラ。貧乳。アル中。
なんでこんなに汚い言葉を羅列して、自分で自分を痛めつけているのかというと、いい加減自分にうんざりしているのだ。
今日もダメだった。今日は仕事が休みだったので、色々やらなきゃいけないことがたくさんあったのだが、それの一つも出来なかった。何をしていたのかと聞かれたら、何もしていないと答えるしかない。マジで何もしてない。なんか気付いたら1日終わってた。虚無。二酸化炭素を排出するだけのでくのぼう。カス。虫ケラ。貧乳。アル中。


私はずーっとそういう人生を歩んできた。
胸は今よりもう少し大きくなるだろうと思っていた中学時代。(胸の大きさは小学生から変わることはなかった)

当時はノートに日記をひたすら書いてたのだけど、高校受験のための勉強をしていた当時の日記が見つかった。そのまま文章を書く。


「お前はそのままでいいのか。本当にそのままの生き方で人生を歩み続けるのか。もう少し生き方を見直した方がいい。「明日やる」と言ってるお前に、永遠に明日なんて来ることはない。今日やれ。」


めっちゃこわい。
今読んでてメチャメチャこわかった。
全部今の自分に突き刺さってきた。
なに?こいつは誰なの?

この時オードリーにハマっていた全盛期だったので、次の日には勉強のことではなく、オードリーが出ていた番組の感想を一ページまるまる使って書いていた。びっくりした。全然反省してない。びっくりした。

堕落→反省→ちょっとやる→堕落→反省
の地獄のループを繰り返して今の今まで生きていたことがハッキリと分かる。



大学の卒業論文を書く時は、友達(秘書の記事に出てきたダイナマイトスケベのOちゃん)の研究室に勝手に居座り、Oちゃんが声優のR-18のラジオドラマを聞きながら、アニメを見ている横で、男友達(本屋の記事で一緒に鳩見に行ったヤツ)と、快楽天というエロ本を回し読みして、どのセリフが一番文学的に優れているかという話し合いをしていた。
玄関開けたら彼氏のチ〇チンまっしぐら!」と「我がパイは2個である。名前はまだない」が最優秀に選ばれた。惜しくも受賞を逃したが、「世界を牛耳るパコりマン☆ドリーム」「TPP(ティンコペロペロ)」もなかなかによかった。考えうる中で最悪の単語の組み合わせたちを並べながら一体私は何をこのブログで伝えたいのかわからないが、要するにその空間で卒論をしている者は誰1人いなかった。そのことを伝えるためにここまで、自分の価値を下げる必要もなかったなと今少し反省している。(よい子のみんな!これがさっき言っていた反省のゾーンだよ!)


そんなことばっかやってたため、卒論の進みがまぁ遅く、挙句の果てには「まあでも一日3000字とか書いたらなんとかなるから」とか恐ろしいことを言っていた。
結果、バチが当たったのか、卒論提出の一週間前に私はインフルエンザにかかり、外出禁止の中、ぶっ壊れて右上にピンク色の異空間が出来ているパソコンで、意識を朦朧とさせながらなんとか卒論を提出させた。内容どうこうよりも終わらせるということを一番の目標にして、文字を打ち込み続けた。
提出した後、学部の教授たちに卒論について色々と質問されたり、注意されたりする口頭試問は、要約すると「ふざけてる?」みたいなことを言われた部分もあったが、なんとか乗り切った。なんやかんや大学を卒業した。



ずっとわたしはこういう生き方をしている。

本当ならば、ダメ人間の烙印を押され、誰からも信頼されず定職につくこともなく、孤独に生きていかなければならないのかもしれない。

だが、ギリギリの所で、ダメなことを気付かれずに生きてる。

いっそのことダメなことに気付いてもらえた方が楽なのかもしれないが、自分の中で「出来る奴だって思われたい」という余計な感情が、人前で見栄を張らせてしまう。
割と声がでかく、その場その場でそれっぽいことを言うのが得意なので、なんとなく良いことを言ったみたいに思わせるのが私は得意なのだ。(自分でそう思っているだけなのかもしれないが)


見栄を張る→それなりの評価を受ける→堕落する→反省する→見栄を張る
の繰り返しなのである。



私はこういう生き方しかできない。


これは、私が本当にダメなやつだということに気づいて欲しいという、私の悲鳴である。
私がダメなやつだってことを知って欲しい。
意外に大丈夫だと思わないで欲しい。
マジでクソ。マジでずっとダメ。

でもそのうえでちょっと好きでいてほしい。
こんな私を好きでいてほしい。
一周回ってアリなんじゃない?って思ってほしい。だってさ、仕事がバリバリできるような奴よりもさ、ちょっと抜けてるところがある奴の方が親近感が湧くじゃん?アリなんじゃない?って思ってほしい。貧乳も、胸が大きすぎて困っちゃうよりかは、「あれ?ちょっとないな?どこかな?オッパイはどこかな?」って探せる方が、探究心刺激されていいんじゃない?って思ってほしい。
あるよりもない方がいい時もあるね!そうだそうだ!いぇーい!行くよ皆!バンザーーイ!!!!!AAAカップばんざーーーい!!!!!






・・・・・・明日からまた頑張ろう。と呟くと、
「明日なんてこねぇよ!」と中学の私から貶された気がした。
残念ながら、明日はどんな奴にでもあるらしい。

だから、また明日。

うさぎと毒ガスの島

大久野島へ行ってきた。


大久野島というのは瀬戸内海に浮かぶ広島県の島で二つの名称を持っている。

一つ目の名前が「うさぎ島」である。

その名の通り、うさぎがワンサカいる。
2013年に計測した結果によると700羽のうさぎがいるらしい。最初フェリーから降りた時はそんなにいるなんて信じられなかった。「いや、そんなにいないじゃ〜ん!」って馬鹿にしてたら、
木影とかよく見ると何羽ものうさぎがぎゅっっっって固まってる。
「え?!いたの!?」ってなる。
そんなに日陰が好きなんかい!

ほんで触ったらもうねぇ・・・
もうそれはモッフモフ。モッフモッフなの。
嬉しくなって島の外で販売してたエサをあげようとすると、膝に前足を乗せてエサを全力でもらおうとしてくる。そのわりにあげると、口にくわえてすぐに離れる。薄情な奴らめ。

あと何か知らんけどものすごい数の穴を掘ってる。
島唯一の宿泊施設がある公園内に、ボッコボコ穴が開いてるから、なんなんだろうと思ってたら、うさぎがそこにハマってる。
「これはわたしがハマるための穴です」と言わんばかりにハマってる。
なに?職員がうさぎのために穴ほってんの?って思ってたら、うさぎが自分で全力で穴を掘る姿を目撃した。穴にハマるためなら労力をいとわないプロフェッショナルたちがそこにいた。掘る→ハマる(寝る)→エサ食う→掘る→ハマる(寝る)→エサ食うの完璧なルーティーンが存在していた。

2時間近く車を運転してきて、そんなうさぎさんと、陽だまりの中にほおりこまれたらどうするって?
寝ました。気付いたらベンチで1時間くらい寝てました。連れはエサやりにハマってその間ずっとエサやっててうさぎと仲良くなってた。


あんまりにもうさぎが最高なので大きな目的を忘れそうになるが、わたしが大久野島に行きたかったのはその、大きな目的があったからだった。

もう一つの大久野島の名称が「毒ガスの島」
わたしが大久野島に行きたかった大きな理由のもう一つがこれだった。


大久野島は昭和初期、「地図から消された島」となった。旧日本軍は、島で毒ガスを秘密裏に製造することを決め、住人達を強制退去させ、毒ガス工場を作り上げた。
太平洋戦争末期には風船爆弾の風船部分も作られていたそうだ。

戦後、毒ガス製造に従事した者の毒ガスによる障害が次々と明らかになり、今でも後遺症に悩まされているらしい。
また、毒ガスが渡った中国で毒ガスのタンクが今でも見つかり、住民が気体を吸ったり、液体化したそれが体に触れたりして、今でも被害が続出しているらしい。中国政府は一刻も早い処理を日本にのぞんでいる。

毒ガス資料館から出て、再びうさぎたちと、うさぎとたわむれる人たちを見た時、なんだかわたしは笑ってしまった。

「異常な平和さだ」と笑ってしまった。

この島で毒ガスは確かに作られていたのだ。
その毒ガスは、実際に戦争で使われ、確かに人が亡くなったのだ。

ここは本来そういう島なのだ。




うさぎは鳴かない。

戦時中、毒ガスの動物実験用にうさぎが飼われていたらしい。

その頃のうさぎは全羽殺傷処分されたので、その時のうさぎの子孫はもう島にはいない。

1971年に地元の小学校で飼われてたうさぎ8羽が放たれて、繁殖して今の数になったらしい。

うさぎは鳴かない。

毒ガスで殺されたうさぎたちも。
放たれた8羽も。

うさぎの気持ちを考えようだとか、そんなことが言いたいわけじゃないんだけど、

うさぎたちが生きたということ
生きて生きて、増え続けたこと。

それがすごく、不思議で、特別で、怖くて、素敵で、うまく言葉に出来なかった。





「毒ガスの島」であり「うさぎの島」

並べるのもどうなんだという意見もあるらしいんだけど、やっぱりわたしは
「毒ガスの島」であり「うさぎの島」というのが、この島を最大限表していると思った。




島に一定数黒いウサギがいてすごく可愛かったので、家に帰って飼ってる黒猫を触ってみたら、なんかすごい硬かった。

大量のうさぎをさわってモフモフ依存症になって帰ったわたしだった。
お、最後に一言、患者が何か言いたいそうです。


ええからおめぇの尻モフらせろや!!!!!!!!!

秘す必要もないイミのない話

学生時代、色んなバイトをしていた。
その中の一つに「秘書」のバイトがある。

一応業務上の秘密を守らないといけないやらなんやらの誓約があるので、なんの秘書をしていたのかは言えないけど、小さな事務所みたいな所だったとだけ言っておこう。

仲が良かったOちゃんという女の子が、「人が足りてないからお願いしてもいい?」と頼んできたのがキッカケだった。私はその時他にラーメン屋で働いていたのだがラーメン屋は深夜22時からシフト入りで、夜間主の大学に通っている私は昼間の時間はすることが無かったのでOKした。

関係ないけど、Oちゃんは私が出会った女の子の中でベスト3に入るスケベな女の子である。ド巨乳でダイナマイトグラマーガールな彼女は、自分がエロいということを理解しており、エロさを武器にして世を渡っている。その割に働いた金すべてを声優のために注ぎ込むような中国人顔負けの爆買いを繰り返し、クレジットカードの使いすぎで上司に使い方を注意される金銭感覚の狂ったオタクとしての一面もある。

Oちゃんのスケベエピソード、その他諸々の伝説は語りだしたら3時間くらい過ぎてしまうし、おそらく彼女はいつもこのブログを読んでくれている(メチャ優しい)ので書かないが、私はそんなOちゃんが人として死ぬほど好きなので、Oちゃんの頼みには乗らざるを得なかった。


まず、秘書のバイトってどんな格好してるのか。
別に秘書というイメージから連想されるような、胸元をざっくり開けた白いシャツとタイトスカート、みたいな格好はしなくても良いです。Oちゃんがそんな格好したら完全に「爆乳フェロモン秘書ご奉仕60分」というタイトルがつく。(私はつかない)
私が働いていた所は、自由なところだったので、服装に関しては何にも気にせずに行っていた。
あと、勤務形態が、朝から夕方までで拘束時間が長いので、ド寝坊をして朝化粧をする時間がなかった日はそのまま行って昼の休憩中に家に帰って化粧をして現れて、事務所の人に「え?顔変わってない?」とよく言われていた。ほっといてよ。

やっていることはほぼ事務仕事。
会計システムを使って伝票処理とか、メールの受け答えとかそういったことをしていた。
あと、急に無茶振りで一字一句わからん資料渡されて「これpptにしといて」とか言われた時は「何言ってんの?」と思った。
精一杯やったフリして次の日のOちゃんに丸投げした。ごめん。

わたしの直属の上司は、見た目が少し怖くて物言いがとてもハッキリしているオジサンだった。彼と話す時は大抵Oちゃんの話ばかりしていた。「Oさんってお爺さん力士でめちゃくちゃ強いらしいよ」「たぶん吉田沙保里がいなかったらOさんが人類最強」「ケモノ」とかずっとOちゃんが一番強そうに写ってるお気に入りの写真を私に見せながら喋ってた。どんだけOちゃん好きなん。

事務所で2番目に偉い人が、わたしの面倒をずっと見てくれていた。上司のそばに行くと、スネ夫みたいなヘコヘコした喋り方をする調子のいい人だったが、私がパソコンを買ったばっかりという話をしていたら初期設定を全部やってくれたり、とにかく色んなことをしてくれた。

勤務が昼までだった日は車で少し遠いラーメン屋に連れて行ってくれたりもした。

「まだラーメン屋で働いてんのぉ?もう辞めなってぇ」

その人はずっと私がラーメン屋で深夜働いていることを心配してくれていた。

「女の子があんまり夜遅く出歩いちゃダメだよ〜」
「あ、ラーメン屋にこうやって連れてってること、Oちゃんには言わないでね。Oちゃん
はまだあんまり連れていけてないから」

と、とにかく優しくしてくれる。
なんでそんなに優しいんだろと思って聞いてみたら
「昔行ったフィリピンパブの女の子にめちゃくちゃ似てる」
との回答をいただいた。うれしくねぇわ。


今回のブログには特にヤマもオチもイミもはい。

結局経費削減のために、Oちゃんは残って私は辞めなきゃいけなくなったんだけど、大学卒業しても、時々あの日々を思い出す。

このバイトをする前の夏の日、私は「あなたが僕の運命の人です!」と言われて初めて付き合った彼氏に「人生の足枷」というランク激落ちの称号を下されてフられた。(そんなことある?)
まあまあ好きな人だったので「どうする?川でも飛び込む?」という心境の日々を送っていた時に、Oちゃんから誘われて、私は秘書バイトの、そんなに人に話すほどの事でもないへんてこな日々を送ることになった。

特にオチなんてないけど、たぶん何年か後に思い出すのは、こういう思い出なんだと思う。

あの時、Oちゃんに誘われて良かったし、フィリピンパブの女の子に似てて良かったし、あの人とは別れて良かったと思う。

意味がないことなんて、ないのだ。




え?なになに?
Oちゃんが、大勢の男をモノして帝国を作り上げてるって?しかも現在進行形!?


それはまた別のお話。

青春を強要するな

ポカリスエットのCMがある。

高校生が校舎の中で音楽に乗せて踊りだし、「君の夢は僕の夢」と歌う。意気揚々と踊る彼らの全身がみずみずしい青色に包まれて、「青春」の有様を見せつけられている、という気分になる。


あれは果たして青春なのか?


高校生が目に見えて、「今、青春をしている!」と思える時は一体なんなんだろうか。

体育祭で徒競走一番をとった瞬間?
文化祭で自分のクラスが優勝した瞬間?
好きなあの子と結ばれた瞬間?

どれもこれもが、青春として与えられたステージである。しかし、そのステージの上で自分の思うようなパフォーマンスが出来るかどうかはその子次第だ。

私は完全にパフォーマンスが出来ない側の人間だった。体育祭では、本当に運動が出来ないので徒競走で完全に迷惑をかけた挙句、他の色の応援団の方に仲良い子がいて、その子に頼まれて、他の色の応援団のTシャツの文字を書いてたりしてた。私の裏切り行為がバレていたかは知らないが、敵チームに協力してしまうくらい、私は体育祭という場にそこまで興味を抱いていなかった。



全身が青色に包まれながら踊り狂う姿を青春と呼ぶ人もいる。

しかし、その青色に包まれる舞台に立っておきながら踊ることを放棄するタイプの人間もいる。



わたしが学生時代に一番青春を感じたのは、ある夏休みの1日だった。
生徒会だったわたしは、同じく生徒会のメンバーとクーラーの効かないむんとした暑い部屋で顧問に呼び出されて待っていた。地味な女(私)、メガネ、メガネ、メガネのこの世で一番何も産まないカルテットである。
先生はやってくると、「生徒会のバッジを作るぞ!」と言ってきた。元々腕章はあったのだが、どうしてもバッジが作りたいらしい。

バッジのデザインを考えるとなった時、誰ひとりとしてデザインが出来そうな人が存在していなかったため、先生は生徒会の大きな旗を持ち出した。

「よし!!!この旗を上から撮ってパソコンにデータをいれてデザイン化しよう!!!」

全員が「一体何を言ってるんだこいつは」と思っていたが、もうその時点で暑さで完全に頭が回らなくなっていた。誰も先生の勢いをなだめるものはおらず、むしろそのテンションに乗っかってしまった。

全員で協力して、生徒会の旗を地面に敷き、シワにならないように伸ばした。風で飛んでしまいそうになるので、風がやんだ瞬間を「いまだーーーー!!!!」と見計らってそれを生徒会棟の屋上から撮影し(←なぜ?)、それをパソコンのデータにいれた。

「先生!こっからどうするんすか!」
「よし、ペイントを開け!」
「開きました!」
「よし、写真を貼り付けてそれの上からペイントでなぞっていけ!!!」
「!?!!?!!は、はい〜〜〜!!!!」

もう訳が分からなかったけど、暑さでテンションが完全におかしかった為、私たちは体育会系みたいなノリで「よっしゃあああ!!!」とペイントを開き、「おらああああああああ」と色を塗りつぶしていった。
細かい所はズームをして、一コマずつ色を塗り勧めていかなければいけないので、1人ずつ変わりながら、残りの者はうちわでペイントに向き合う1人を全力であおぎ続ける。「次はお前じゃあああああ!!!!」「よっしゃあああああああ!!!」と謎の奇声を発しながら全員でパソコンに向かった。

クーラーも何も効いてない、パソコンの熱と男臭さの中で、必死によくわからない何かを全員で完成させるというその光景に、私は「あ、青春してるな」って、なんとなく思った。


結局、経費が降りなかったとかでバッジは作れなくて、その夏休みの丸一日はなんの意味にもならなかったんだけど、
私はそのどうしようもない一日のことをずっとずっと覚えている。

きっと、ずっと覚えてる。





青色の舞台に立たされて、踊らなくったってなんの罰もあたるわけじゃない。



青春は与えられるものじゃない。

与えられた青春を無理やり満喫しようとしなくたっていい。


お前がお前の青春を作り出せ。


それが、「君の夢」であり「僕の夢」です。

【CM】ポカリスエット 「キミの夢は、ボクの夢。」全篇【歌詞付き】 - YouTube

ポカリのーもっ

じいちゃんへ

じいちゃんは、
酒とタバコを愛している。


酒は金麦。タバコはメビウス


お酒は午前中から飲み始めるから、車を出してもらう頼み事は朝イチにしにいかなくてはならない。自分の家から徒歩1分の距離にある家に、「駅まで車で送ってよ」と言いに行くと手遅れになることが多かった。

じいちゃんは会う度酔っ払っている。夏になると上半身裸に下はステテコ、風呂上がりみたいな格好で、下校中の知らない小学生に「おかえり〜」と声をかけている。不審者として通報される一歩手前だ。陽気なジジイと不審者の境界線は曖昧でそれは見方しだいなのである。

小学生だけじゃなく、じいちゃんは知らない人にすぐ声をかける。喫煙所で会った人とは絶対仲良くなるし、ビアガーデンなんかに行くと近くにいる人に踊りながら声をかけたりする。「もう!じいちゃん!ちゃんと皆の近くおってよ!」と迎えにいくと「ほっほっほ」と頬をほんのり赤く染めて笑うのだった。



タバコは1日一箱は吸う。
うちの一族はじいちゃん以外吸う人がいないので、「もっと減らしーや」とみんな言っていた。タバコの値段がどれだけ上がっていってもじいちゃんのタバコの本数が減ることは無かった。

小さい頃からそばでじいちゃんの指先のソレから、煙がモクモク出ているのを見て、「おいしいのかなあ」と不思議に思っていた。
じいちゃんは私を見つけると「ほいっほいっ」と言いながら謎の踊りを踊って近づいてくるので、聞くことは無かった。


酒もタバコも吸うけど、運動はしない。
そんな地球に優しくない不健康な生き方をしているじいちゃんだが、医者に驚かれるくらい今まで病気を一つもしたことはなかった。



今年の六月にじいちゃんが足の骨を折った。

散髪屋に行く途中、普段は乗らないサドルの高い自転車に乗って転んでしまったのである。さいわい、2ヶ月病院に入院してリハビリをすれば治る程度と医者には言われた。
私は週5で、ばあちゃんを車に乗せて一緒に病院に見舞いに行った。じいちゃんは将棋が大の得意なので、将棋をさしたこともあった。3時のおやつに間に合った際にはばあちゃんと3人でおやつを食べたりもした。「おまえが来たらじいちゃん元気になるわぁ」ってじいちゃんは笑っていた。

足の骨にボルトを入れる手術の時。
その日も私とばあちゃんが2人でついていた。
手術の前はいつもは陽気なじいちゃんが、さすがに緊張しているようだった。
私がトイレに出て帰って来た時に、じいちゃんは別のベッドに移されていた。じいちゃんのそばにいって顔を見て私はふと気がついて口に出した。

「じいちゃん鼻毛出とるで」

わたしのその言葉の直後に、看護師さんが合図を出し、じいちゃんは手術に向かった。
やらかしたの一言である。
手術の前にかける言葉として、おそらくワースト10に入る不出来合いな言葉である。最悪の孫。

手術は無事終わり、次の日また見舞いに行ったら、散髪をしてもらっていた。こけて骨折したせいで、出来なかった散髪である。

「おっ!ええじゃん!髪の毛少なくても散髪するとカッコええじゃん!」

またもや余計な一言を私は言う。
隣にいた家族も「一言多いわ」とツッコミを入れる。じいちゃんはハゲ頭を光らせながらまた「ほっほっほ」と笑っているのだった。







じいちゃんは、

酒とタバコと

家族を愛していた。













じいちゃんは、骨折して入院し、そこから2ヶ月経って、退院する直前に、調子が悪くなった。


胃ガンだった。


末期だった。



そして、一昨日、じいちゃんは亡くなった。





胃ガンが見つかってからは進行がとても早かった。毎日毎日病院に行って、時には病院に泊まりがけでいた。

じいちゃんはしんどそうだった。
つらそうだった。
陽気に笑って踊るじいちゃんはいなかった。

でも、いつもちゃんと私の名前を呼んでくれた。







葬儀が終わって、火葬場に移った。
火葬は1時間ほどかかるようだった。

私のカバンの中には、じいちゃんがいつも吸っていたメビウスが入っていた。

喫煙所に行き、タバコを口元に持っていき火をつけた。
モクモク。モクモク。
じいちゃんの指先にあったそれは、わたしの指先に今はある。

思ってた以上に吸いやすくて、「なるほど、これは一箱吸えなくもないな」と少し思った。


モクモクモクモク。


タバコの煙とじいちゃんの煙が空でまじわる。












じいちゃん





もう、どこも痛くないね。


良かったね。





たくさんタバコ吸ってお酒飲んでね。





お酒とじいちゃんが大好きなわたしより。